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彼女 −かのじょ− 7


 私は叫び声をあげて居間に飛び込んだ。そこには信じられない… 本当に信じられない光景が広がっていた。組み敷かれた彼女。不気味にうごめく、 担任教師の服を着た獣、その表情は恍惚としていて、 私が叫んで入って来たことも気が付かないようだった。獣は声をあげて動いていた。 おそろしく気持ちが良いようだった。吠えているようだった。
 そして、その躰の下に、彼女がいた。
彼女の、鈴を振ったような可憐な声があえいでいた。その中にひそむ、愉悦の彩が、 私の耳を射る。彼女の顔がこちらを向き、私を認めた。…だがそれでも、 彼女はそこを動こうとはしなかった。無理に動けば、逃れられないことはない筈だ。
だが、彼女は…
彼女は、…笑っていたのだ。
あの、微笑み。
そうだ、あの、誘うような、魅惑的な微笑み。
瞳はきらきらと輝き、口元はかすかに開き…、額には汗をにじませ、獣の、 その動きに合わせて躰をふるわせながら…
ああ…!
私はずかずかと部屋に入り込み、居間を通ってそのままキッチンへ向かった。 求めるものはすぐわかる場所にかけてあった。それを取り、握りしめ、 そしてまた居間へ向かってずかずかと歩いた。 居間では二匹の獣が重なり合ったまま、蠢動を繰り返していた。 体勢が変わって、ちょうど獣の背中が、私の進む方向へ向けられている。 私は何も迷うことなく進んで行き、持っていた出刃包丁で獣の背中を刺した。
「…?」
振り向いた獣は、私にやっと気が付いたようだった。そして、 ぼんやりとした顔で私を見つめた。誰だったのか、思い出せないようだった。 私はかまわず、今度はその喉めがけて、出刃包丁を振り下ろした。
血しぶきが飛んだ。
獣の着ていたカッターシャツが、赤く染まった。
それでも獣は、不思議そうな顔をしたままだ。
今度はその胸に、腹に、そして目につくところに、凶器を振り下ろす。
そうしてやっと、獣は私がだれだか判ったようだった。
驚愕に見開かれた目が、ぐるぐると回る。
獣が何か言おうとする。だが、そのたびに血しぶきが飛び、ごぼごぼという、 気持ちの悪い音にしかならない。獣は手を挙げようとする。だが、 それはもう繋がっていない。獣は立とうとした。だが、その前に… 目を見開いたまま、倒れ込んだ。
辺りは血の海になった。
獣は死んでからも、血を流し続けていた。気持ちが悪かった。 血を流すのをやめて欲しかった。もう、いないのだから。
そして、私は彼女を見た。
彼女は、家着なのだろう、ゆったりした、袖のないワンピ−ス姿をしていた。 その、ところどころに、獣の血が降り注いでいた。その姿は壮絶に美しく、 血に染まった衣装をまとった、花嫁のようだ、と私は思った。
彼女は微笑んでいた。
私に向けられた、あの微笑みだった。
その微笑みに、私はまた、ふるえていた。
私は、出刃包丁をわきに置き、獣の死骸をおしやると、 そっと彼女のほうへ進んだ。彼女は座っていて、私が来るのを待っているようだった。 私は手を伸ばし、彼女の頬にふれる。…とたん、しびれるような快感が、 私の中を突き抜けた。
「いいのよ」
彼女が、あの声でささやいた。
「……」
私は、声にならない声を上げていた。欲しかったものが、 ずっとずっと欲しくてたまらなかったものが、そこにいた。彼女だ。彼女なのだ。 私は血塗れのまま、彼女の口唇に自分のそれを押し当てた。歯がぶつかり、 音がする。彼女が喉の奥で笑った。私はそのまま彼女を抱きしめ、その頬に、 首に、肩に、乳房に、くちづけた。彼女は私のものだった。私は彼女のものだった。 彼女の白い肌を思い切り吸い、咬んだ。甘い香りがした。 そのまま食いちぎってしまいたかった。彼女の腕を、脚を、躰のすべて… どんなところも、私はふれ、吸い、味わった。死んでもかまわないほどの快感が、 私の身体中を襲った。おそろしく気持ちが良かった。
彼女もまた、あの声をたててそれに応えた。
そして、彼女がささやいた。
「貴女が欲しいの」
わたしが?!
「…ずっと…欲しかったのよ…」
私のすべては彼女のものなのに。
「いいえ。貴女はまだ貴女よ。そうではないの。すべてが欲しいの。貴女という、 存在のすべてが…」
あげるわ、私は叫んでいた。あげるわ。何もかも。私は何も要らない。 貴女がいればいいの。貴女だけが…貴女だけが私のすべてなのよ。
「いいのね?」
彼女はささやいた。
「いいのね」
ああ、何を迷うことがあるだろう。私は何もいらなかった。自分だっていらなかった。 彼女とこうしてふれあっていられるなら、命などどうだっていい。 魂だっていらない。彼女だけが…彼女だけが存在していれば、それですべては成るのだ。
私の肉がほしいの?血が欲しいの?魂が欲しいの?
「すべてよ。」
でも貴女はなくならないわ…私の中で…――ずっと共に在るの。ずっと。
彼女の瞳が広がってゆく。あの、保健室の、甘い短い蜜月のときと同じ… 彼女の中に吸い込まれてゆく。闇夜の空を映した瞳。あの昏い古い排水溝。 夜の中にぽっかり空いた深淵の闇への門。それを私はくぐった。彼女の中へ入り、 彼女の動くように動き、彼女と解け合ってゆく。私という意識など、 どこかへなくなっていた。それでも、私は満たされていた。おそろしいほどの快感。 そして魂の充足。
彼女のすべてを私は感じ、私のすべてを彼女が感じていた。私は彼女だった。
わたしは私だった。











彼女はいまや私の中に在る。いや、彼女はもう存在しない。わたしのなかに居る
のは私。私はわたし。永遠に。



そして、私は今、わたしの手の裡に在る。




〜ENDRESS-END〜


『彼女』/#2/19980723/(C)くらげ企画
written by 有明海月


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