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    訪問


どこまでも淡く蒼い空が広がっている。
この国の風景は、その彩によく映える。広々とした鮮やかな緑、肥沃な大地、所々に 咲きみだれる花。そして行き交う人々の姿。大地と緑の中に棲むものたち。はなやい だ声でおしゃべりを交わす娘たち。たくましい若者。幸せそうな家族。聡明な老人たち。
どれもみな活気に溢れ、日々を謳歌している。
彼はこの都が好きだ。もちろん、彼の故郷、彼の一族の治める国のようにとはいかない が、それでも好きだ。それはこの国に囚われて生きている彼のまなびとのせいかもしれ ない。彼女はこの国を愛している。おそらく、彼が自分の故郷を愛する以上に。そして 彼のことを思うよりもずっと。だからといって彼の愛が消えることはない。彼女が愛する ものは、彼にとっても喜びだからだ。もうずっと――そしてこれからも、彼女は彼の喜び そのものであり、彼は彼女を愛し続けるのだ。

目立たぬ格好で市街地を抜け、神殿を通り過ぎ、大公家の住まう屋敷へたどり着いたの は、もう日も高くなった頃だった。彼は勝手知ったる他人の家よろしく、番兵にも見つ からずに中庭から屋敷に入り込み、彼のまなびとが宮から帰ってくるのを待ちかまえる。 庭は広いが、彼女が家路についた後に時間を過ごすあずまやはいつも決まっている。 彼女お気に入りの場所だ。そしてそこには普段は誰も近寄らせない。先触れもなく、いき なり訪れたのは、彼女を驚かせるためだ。ここで他の誰かに会ってしまっては、すべてが 水の泡なのである。
四阿のそばの高い木に登り、幼い頃にそうして彼女を驚かせたように――彼は枝の上に 腰掛け、彼女を待った。
ふいに――
なにかの気配がした。
「?」
だれ、と声をかけてみたが、いらえはない。
けれども気配は消えない。それはどこからか彼を見、そして――何かを怖れているように 思えた。彼は身を起こすと、枝の上に器用に立ち上がり、声をかけた。
「誰か――そこにいるの?」
果たして、足下の茂みの中から出てきたのは、幼い少女だった。
「――ごめんなさい」
小さくつぶやく。
「どうしたんだい?お嬢ちゃん」
彼は枝から飛び降り、その少女のそばに立った。
「ここへは来てはいけないと言われていたのに…」
「迷ったの?――君はどこから来たの?」
言ってから彼は少女を見つめ、そして心の中で驚く。少女は彼女に良く似ていた。彼女の 幼い頃に。しかし少女の瞳は紅い。彼女はこの国を象徴する彩――緑聖石のグリーンの 瞳と大地の髪を持つ。この国の大公家の人間は殆どそうだ。だいいち、大公一族ならば 彼が知らぬはずはない。
「お庭で遊んでいいと言われたの…嬉しかった。こんなに綺麗なお庭は初めてだから」
「うん」
「だけど、こちらへは来てはいけないと言われたの。誰も入ってはいけない場所だって」
へえ、と彼はつぶやいた。ここは彼女お気に入りの場所だが、入ってはいけないという程 ではない。むしろ、ここを訪れた客には積極的に解放しているはずだ。ここは、庭が見渡 せる、とても美しい場所で、客人をもてなすには都合のいい所だからだ。では、この子は この屋敷へ来た客人の子供ということだろうか。それにしても、彼女にこれほど似ている と言うことは――おそらく一族、それもどこかへ嫁いだひとの娘というところだろう。
「お父さまかお母さまと一緒に来たのかい?」
「ううん」
「違うの?」
「お母さまはあそこ――」と屋敷を指さし「お父さまは知らない」
「知らない?」
「いないの」
少女は言うと、ちょっと怯えたように「聞いてはいけないの」とつぶやいた。
「そう…」
彼はうなずくと、にっこり笑い、そして少女を抱き上げた。少女はきゃっ、という声を 出して怯えた目をしたが、彼が抱きしめると、不思議そうな顔をして、やがて微笑んだ。
「私が怖いかい?」
「ううん――怖くない」
「そう、良かった。じゃあ、送ってあげよう。叱られないように私が言ってあげるよ」
「ほんとう?」
「勿論さ。私の出入りは自由なんだ。そしてここは私もお気に入りの場所なんだよ」
「お気に入り?」
「そうだよ、ナトリア…――この国の姫さまと私はお友達だからね」
「ナトリア――さまと?」
「そうだよ、ナトリアを知っている?」
少女は神妙な顔をしてうなずき、じっと何かを考え込んでいたが、やがて彼の顔を見て
「では――貴方がタルヴィ?」
「――え…」
一瞬、躊躇してから、彼は少女の瞳を見つめ、その真剣さに驚きながら答える。
「…そうだよ、私がタルヴィさ…君は私を知っているのかい?」
「…たぶん」
少女はつぶやくと、するりと彼の腕から飛び降り、そして彼の方を見つめてまた微笑んだ。
「――会えてよかった」
そのまま、きびすを返すと、茂みの向こうへかけてゆく。
「ちょ…ちょっと――」
彼の方と言えば、ぽかんとしたまま――それを見つめ、それから慌てて後を追う。が、 既に少女の姿は無く、辺りには緑が広がっているだけだ。
(誰だったのだろう――?)
彼女とそっくりの少女。それも瞳は自分と同じ紅い彩。どこか怯えたような態度と、妙に 大人びた瞳。会えて良かった、という言葉。何を言いたかったのか。
「――タルヴィ!」
その時、彼の愛びとの声が、後ろから響いた。

「先触れもなく――どうしたの」
笑いながらナトリアが言った。
「妙な子にあった」
「妙な子?」
「人で言えば10歳くらいの――君にそっくりで紅い瞳の女の子で」
「へえ」
「今日は客人は無いの?」
「ええ、予定はないわ。貴方が来たこと以外はね」
「――お母さまは屋敷に居るって言ってたけど」
「変ね。この屋敷に子供はいないし。奉公に上がってるのもみんな独身の人ばかりよ」
「一族で小さな子っていないの?」
「一族で?…居ないと思うわ。あまりに遠縁だと知らせが来てない人もいるかもしれない  けど、一族の子供は貴重だから。…私たち以降、子供は無いはずよ」
「そうだね…」
「上の空ね」
くすくすとナトリアが笑う。
「君にそっくりだったからね――気になるんだよ」
「予知?」
「まさか――キャラじゃあるまいし。私には予知能力はないよ」
「でも、何か感じたんでしょう?」
「判らない――そうかもしれない――よく判らないけど、忘れてはいけない気がする」
「そうなのね」
忘れてはいけない気がするのなら、そうなのだ。それが何を意味するかは判らなくとも。
「ね、ナトリア」
「なに?」
「愛してるよ」
「――お生憎様。私は愛してないわよ」
「知ってるよ。でもかまわない」
そして、二人は笑う。
「さて。屋敷の方へ来て頂戴。ささやかだけど、うちの夕食にご招待するわ。
今夜はどうせ泊まりなんでしょう。街の宿で女の子と楽しく過ごすのもいいけど。 たまには父様や母様のお話し相手になって。みんな貴方が好きなのよ」
「ありがとう――実はお腹が減っていてね。大公殿下はお元気かい?」
「もちろんよ、貴方が来たと知ったら喜ぶわ――旅の話でも聞かせてあげて」


それはずっと未来の夢。過去の想い出。約束。裏切り。放浪の果て。
いつか巡り来る物語の夢――――


『訪問』/#3/19990511/(C)くらげ企画/RATS! THE SYMULATION-F.T.version
written by 有明海月


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