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朱い月 ――あかいつき――


夜の道には、瘴気が憑きやすい。

それも、人が逝ってしまった後には、そういう場のようなものができてしまうから、

余計にひどい。

私が夜、出歩くのが好きなのは、何も時間の関係という理由だけでなく、

その瘴気の中に棲む心優しいくせに弱気で哀しげな「連中」に、遭えるのが嬉しくて…

――と、いうこともあるのだ。

だから私はそんな連中に遭っても心を閉じないようにしている。

むしろ、ちょっかいをかけてきたら、喜んで応えたりする。

少なくとも、そんなときは、それほどひどい扱いは受けない。むしろ、本当に危ない

奴らから守ってくれたりもする。

そして、あの晩も、そんな風だった。

「いやぁ、凄い月だね」

誰も居ないというのに、そう言うと、私は空を見上げた。

満天の空の中に、朱い月がある。

笑っている。嗤っているのだ。

誰をだろう。

私を?

それとも、この冷ややかな空間(そら)につかまってしまった、可哀相な誰かをだろうか?

「おやめよ」

お止めよ、考えるのは。性に合わない。

「でも、どうして笑ってるんだい?」

「今夜は、つきよだからね」

ああ。そうだった。月世だ。

魔の集う、世界になる、夜なのだ。

「それじゃ、邪魔しちゃ悪いな」

「帰ることにするよ」

そう、そらを見上げてつぶやいてから、ふふ、と私は笑った。

この月祭りは、人を化かす。

そうして、この気弱な、消えかけた想いたちの仲間がひとり…ふたり、増える。

ふふ。

明日になれば、私のような、皮肉な者が、何人か集まって、

やはり、溜め息をつくのだろう。

“悪戯が、過ぎるよ”

そんなことを言って。

…さあて、いこうかな…

私は、この子たちの仲間には、まだなれないんでね。

…と。

その子に気が付いたのは、その時だった。

私と同じに、空を見つめている、子供だ。・・・いいや。空じゃない、

その子が見ているのは、あの、月だ。

その中に棲む、朱い、魔だ。

「どうしたの、おじょうちゃん」

私は、声をかけてみた。

「お歌を聞いていたの」

振り返って、その子は答えた。鈴をふるような、かなしげで、澄んだ声だ。

人のものではない声だ。

「何の歌?」

「朱い、お歌よ」

「朱いの?」

「そう」

「どんなあか?」

私がそう尋ねると、その子は不思議そうな顔で私の目を見た。

「どうして?」

「知りたいと思ったのさ」

「なぜ?」

今度は私が質問される番だった。

「なぜ知りたいの?なぜ聞くの?何故私が知ってるの?」

「それは…」

答えようがなかった。

ただ、この目の前の、愛らしく優しい魂が、何を求めているのかは、

判ったような気がした。

「わたしはなんにも知らないの。私はなんにもわからないの。ただいつも夢を見てた

だけなの。怖くて…いつも哀しかったの。だからそれを言っただけなの。なのに…」

「大丈夫だよ」

「なのに…なぜそれがなんなのか、わたしに聞くの?どうして私が知ってるの?」

「私にも判らないな」

「ひとは、わからないこと、なんでもわかろうとするわ。でも駄目なの。ほんとは

わからないんだもの。」

「だから…来てしまったの?」

「わたし、お歌を聞いていたかったの」

少女はそっと私に耳打ちした。

「それだけなの」

私は、微笑んだ。

哀しくて、こんなに、まだ幼いのに、こんなに…まだ何もかもを愛せるのに。

「お帰り、お嬢ちゃん、まだ、いけるだろう…?」

「わたし、疲れちゃった」

少女は、私などはじめから居なかったような顔をして、また、空を見上げた。

私も、少女の聞いている歌を聞こうと耳をすましたが、何も聞こえなかった。

「私は、歌を聞く資格もないのかな?」

まだ早いよと、そばで笑われたような気がした。

もうすぐだと、頭の上で囁かれたように思った。

ばいばい。

少女は消えていた。

私の目からは、出る筈のない透明な液体が流れ出ていた。…いや、透明ではない。

朱かった。

あの月と同じく、朱い色だ。

人としての涙など、とうに涸れ果てた。

あるのは、もはや魔性と化した血だけだ。

…それなのに、何故生きている?…こうなってまで。

あの子さえ、自ら、歌を聞けるというに。

何故に、わたしは…


おやめ。

お止めよ。

まだ早い。

私達も、急ぎすぎたよ。

もうちょっと、待っておいで。

迎えにきて、あげるから。


それまで、何回、この月を見るのだろう。

こんな夜に囁く、か細い声を聞きながら…

ふと気が付くと、月が雲に隠れていた。

まわりの「連中」もそれに合わせたように、闇にまぎれてゆく。

私は、歩き出していた。

「また来るよ」

取り敢えずは、ここに棲まわせてはもらえないらしいからね。

そう、まだ当分は。






そうして次の日、新聞にあの少女の写真が載っていた。見出しは『霊感少女、失踪

の末、事故死か』とある。

全く、とんでもない。

何が霊感少女だ。少しだけ夢見が過ぎただけだ。それをまわりが勝手に盛りたて、

押し上げ、挙げ句の果てに潰してしまったのだ。そうだとも。あの子は事故で死んだ

んじゃない。自分で、あの中に飛んでいったのだ。

そして、それが許されたのだ。いいじゃないか。

少なくとも、何度も何度もあの月夜をみるよりは…と、そう思ってしまうのだ。

また、そのうち見るのだろう。あの月を。

そして、いつか、私も聞けるのだろうか。

あの子の聞いていた、歌を。



おいで。

おいでよ。

もうすぐだよ。






LITTLE FIN

『朱い月』19880805/(c)RATS!/THE SYMULATION
written by 九十九哲志(有明海月)

▼あとがき