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LUNATIC DOLL・42

Long Way for Longing


迷っていた。
今でも迷っている。
答はもう、とっくに出ている。
それでも自分はずっと迷い続ける。
そのようにしか、自分は生きられない。
慰めてほしかった。それを、誰に求めているのか、判っている。
そして、同時に、その誰かにだけは、こんな弱い自分をさらしなくないのだ。
何も考えたくなく、だが何もかもを思い悩み――それが意味のない繰り言だと知っていても、
悩むより先に、出来ることをしたいと望みながらも
自分の中にあるものを消化できない。

哲理は、外に出た。


院家を抜け出す直前に、哲理は茅に出くわした。
いや、出くわしたのではなく、おそらくは、こっそりと哲理を見張っていたのだろうと思う。
あの家に出入りしている人間は少なくない。だが、皆、慎重に、哲理に遭うのを避けていた。 茅の指示だろう。茅――あの館の女主人。彼女は、哲理をまっすぐに見る。怖れる様子もなく、 目を背けることもない。…そう、普段の哲理だけではない、今の、この、自分にも。
 ――お出かけですか。
 ――出ていくんだよ。…迷惑をかけたな。修羅に宜しく言っといてよ。
 ――若は杜守さまを病院に送っていかれました…。
 ――知ってる。
 ――しばらくしたら、お帰りになります。…ご自分でおっしゃいまし。
 ――…
哲理の心は少し痛んだ。
 ――哲理さま、わたくしたちは…
そしてちょっとためらい、その顔に、ほんの少しの哀しみを拡げる。
 ――我らは貴方様を怖れております。貴方様は我らの敵の顕現。その性は魔のもの。
     我らが倒さねばならないものです。
 ――知ってるよ。
哲理は吐き捨てる様に応える。…そう、誰よりも、自分が良く知っている。
 ――だから、出ていってやるって言ってるだろ。
 ――同時に――
茅は、笑った。嘲りでも、追従でもない。優しい微笑みだった。
 ――あなた様は若がお選びになった方です。そうである限り、貴方様をお守りするのは我らの役目。
     どうか、それをお忘れなきよう…
哲理には、茅の目を見つめることが出来なかった。この女が、それを心から言っている事は、もう随分と前から知っていたのだ。 それでも、今の自分には、素直にそれを受け入れ、頷き返す事が出来ない。
 ――お早いお帰りを…
そう、茅は言うと、ゆっくりと、深く、深く、頭を下げた。
哲理が、その姿を消してしまうまで、彼女は頭を上げようとはしなかった。


そして、哲理は外に出た。じっとしていられなかった。
あの場所にずっと居れば安全だろう。少なくとも、自分の状態が落ち着くまで居るのには最適の場所だ。 誰に迷惑をかけることもない。だが、その間、自分は膿んでいく。我慢できなかった。眠れば過去の悪夢を見る。 起きても何も得ることは出来ない。
気がつくと、恵が運ばれた筈の病院に来ていた。
院家の息がかかっており、なおかつ、『第零課』の指定にある病院と言えば、ここしかないのだ。…過去、 哲理も何度か、そこを利用したことがある。
ここまでどうやって来たのか、自分でも覚えていないのが、妙におかしかった。ここはかなり町中なのだ。 バスに乗ってきたのか、タクシーで来たのか、それとも歩いてきたのか、はたまた飛んできたのか…なにも覚えていない。
ただ、気がつけばそこに来ていた。
――ああ。
判る。彼女は眠っている。…薬が効いているのか、夢も見ずに寝ている。
痛みはひいただろうか。傷口はふさがったのか。
自分は何をしているのだろう。
ここに居てはいけないのに。
ここに居ても、何も出来ないのに。
――慰めてほしいのだ。
だけど
それは、嫌だ
何もかも堕ち、汚泥に身を任せた自分の、たったひとつの拠り所。くだらないプライド。
そのせいで、あいつはまた傷ついた
私が、あいつを傷つけた。
私は――
「あ、ちょっと失礼」
ぼんやりと立っている哲理を、人が追い越していく。
人の、群れ、群れ、群れ。
皆、いってしまう。
その流れのまま、哲理は病院に入り、エレベーターに乗った。


そしてまた気がつくと、哲理は屋上に立っていた。
この病院の屋上には、簡単な温室がしつらえられている。長期の入院をする患者もおり、また、先頃施行された緑化法令の適用もあって、 人々が気軽にリラックス出来る空間として利用されているのだ。
哲理が気がついた時、そこには誰もいなかった。
空を見ると、西の方が柔らかな朱に染まっている。
明日も晴れるだろう。
下を眺めると、南の方にはマッチ箱の様な家が建ち並び、海に近い方には、此処よりももっと高い建物が林立している。
人々の群れ。
「綺麗よね」
ふいに声をかけられ、哲理は驚いて振り向いた。若い女性が立っていた。目が合うと、女性はにっこりと微笑んだ。
その、邪気のない微笑みに、思わず哲理も笑う。
「お散歩ですか」
入院患者なのか、女性はパジャマに軽いカーディガンを羽織っていた。まだまだ暑いが、夜ともなれば少し冷えてくる。 女性は頷き、そして哲理と並んで、町並みを眺めた。
「時々ねえ、…どうして自分はここに居るんだろう、って気になるの。…全部が思い通りにいかなくなって、自分が情けなくなって」
黙って、哲理は肯く。
「そんな時はね、この場所に来るの。ここからはいろんなものが見える。この見える全部にね、いろんな人がいて、いろんな想いがあるんだって思うの。 そうするとね、自分の情けなさなんか、なーんでも無いような気がしてくるの」
「なーんでも無いような?」
おどけて、哲理が言う。
「そうそう、なーんでもないんだって。」
女性も笑って続ける。
「――昔から、良く、ここに来たの。いろいろ想像してた。この景色を見て。この景色分の人がいて、景色分の想いや辛いこと、 哀しいこと、嬉しいことがあるんだって思って。それって凄いじゃない。私のまわりは小さな世界だったけど、ここに来れば、広い世界が見えたのよ」
「広い世界が…」
「小さい頃はね、なんだか自分だけ損してるみたいな気分だったの。でもね、だんだん大きくなってくるとね…。そうだな、辛い思いをしてる人もいるだろうって。 みんな辛くて、哀しくて、優しくて。みんな一緒だねって、そう思えるようになったのよ」
「大人になったんですね」
「そうかな」
「でも、自分の辛さは自分にしか判らない。他人の辛さを理解することなんか、出来ないですよ、きっと」
「そうだよね。」
女性は屈託がなかった。何故か哲理は、懸命になっていた。 他人だからなのかもしれない。知らない人間だからかもしれない。だが、――この、初めて逢った女性が、どうしてか心地よかった。
「でも、駄目だって思っちゃったら、そこまでだし、つまんないでしょう。わかりっこないんだから、一生懸命愛してあげるんじゃない?」
「貴女は――」
哲理は、ため息をついていた。
「貴女には、信じていられる人が居るんですね」
「そうよ。」
即答だった。
「あなたにだって居るでしょう。」
「――判りません。」
信じていられるのか、愛して良いのか。自分は存在していいのか。
「私はいろんな人を不幸にしてきました。今でも、何気ない言葉や行動で、いろんな人を傷つけています。 ――実際、大切な人を、この病院に入院させる羽目になった。なんだか、自分なんか、居なくなった方がいいと思ってしまうんです。」
そうまでして、自分が生き続ける事に、意味があるのか。
「私はどうする事もできない。どうしていいのか、判らないんです」
仕方がないとは判っている、だけど、どうしていいのか判らない。
「むずかしいよね」
「ええ、むずかしいです」
「でも、生きていたいんでしょう?」
「――え」
ちょっとびっくりして、哲理は女性を見つめた。彼女は、空を見たまま微笑んでいる。
「ここに居たいんでしょう」
「――はい」
「大丈夫だよ。信じてみようよ。そうしなきゃ、はじまらないよ。…折角、ここに命があるんだもの。」
「いのち――」
生き残ったことに。生き続けていることに。…そして、愛されていることに。
ああ…
不思議に、哲理の中に、その感情が戻ってきていた。
柔らかく、傷つきやすく、それでいてダイヤモンドよりも硬いもの。いのちという名前の魂。
哲理の貌から、憂いがゆっくりと引いていく。
「うん。いい顔よ。」
女性が、にっこりと笑った。
「ありがとうございます。――私、そんなに変な顔でした?」
「うふふ。そういうわけじゃないけど、なんだか、思い詰めてるみたいだったから」
そして、ちょっとおどけて。
「ここから飛び降りられでもしたら、もう屋上で本読めなくなっちゃうもの。」
「ふふ」
「あははっ」
くすくすと、二人で笑い合う。
「私、葛城と言います。友人の見舞いをするつもりで、ここに来たんです」
今更だとは思ったが、哲理は頭を下げて挨拶をした。この女性に、また逢えるかもしれないと思ったのだ。 そして女性が口を開きかけた時…
「こら!大竹さん!ここに居たのね!」
後ろから声がかかった。驚いて振り向くと、看護婦が頭に角を立てている。
「わ。見つかっちゃった、ごめんなさーい」
「もう、明日は退院なんだから、さっさと病室に戻るの!旦那さま、来てらっしゃるわよ」
「え。あー、やだ、こんな時間なの?怒られちゃう」
女性は慌てて階段の方へ向かっていく。が、途中でこちらを振り返り、大きく手を振った。
「またねー」
深々と、哲理は頭を下げた。


信じていられる。
自分が存在してもいいこと、自分が誰かに必要とされていることを。
それを信じていなければ――
あいつを、みんなを、この世界を
ここまで愛せはしない。

こんな私でも――いや、こんな私だからこそ、出来ることがある。そうだろう?
だから、帰れる。だから、往けるのだ。


満たされた気分になって、哲理は屋上を去った。
そうして、自分の身体から邪気が消えているのに気がつき、思わず笑った。
なんて、単純。なんて、都合の良い身体だろう。
でも、それが自分、今の自分なのだ。
屋上から階段を下りてゆくと、そこに修羅が立っていた。哲理の晴れ晴れとした顔を見て、怪訝そうな表情になる。 が、妙に納得したようにうなずいた。
「迎えに来てくれたんだ?」
「もう、いいようだな」
「うん、落ち着いた」
言って笑い、そのまま、黙って修羅の胸にもたれかかる。それで充分だった。
「――寄っていくか?」
「いや、いい」
「恵は気がついていたようだぞ」
「だろうね」
くすくすと笑う。
「行かなくていい。こんな恥ずかしいとこ、あいつには見せたくない。判ってても、知られてても。 ――それは、あいつも判ってる筈だから」
くだらない、プライド。
でも、今はそれさえも愛おしい。
「戻ろう、修羅。」
そして、ちゃんと歩き出せる。
「…美古都がトシを取り返しに行ったんだろう。どういう事になってるのか、話を聞かせてくれ――こっちも、動かないとな」


TO BE CONTINUED…


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