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LUNATIC DOLL・40

Blue Revolution 3


「と…父さん…?!」
思わず利幸は声をあげた。――と同時に、不安と安堵、驚きが沸き上がってくる。見慣れた父の顔。 50代という年齢にしては深い皺。落ち窪んではいるが、強い目。白くなった髪。 それは誰よりも長く見ていたことのある顔であり、家を出るまで、否が応でも見なければならなかった顔であり、 畏れと…そして同時に、依存の対象でもあった。父に任せておけば大丈夫、父に頼ればなんとかしてくれる――実際、それは、 父への従順を強いられたことを、自分なりに納得するための「方便」ではあったが、それでも、 それは「自分を愛してくれない父」への、彼なりの信頼の仕方でもあったのだ。
父…香月利彦は微笑んでいた。その微笑みには、どこかいびつなものがあり、なにか判らない程小さな違和感が利幸の中に芽生えたが、 それまでの異常な状態――亡者の群に襲われる、という――から抜け出た今、 彼の心はそんな些細な事を気にする余裕はなかった。利幸はほっとした様に息をつき…そしてあわてて同行者である美古都を見た。
「――?」
美古都は怒っていた。
いや、怒っているのかどうかは判らなかったが、少なくとも彼女の顔は険しい表情をしている。見開かれた瞳。 きつく噛みしめた唇。なにかに驚いて、そしてそれに対してじっと耐えている、そういう風にも見える。
「何をしている、座りなさい、利幸」
父の言葉にはっとしてそちらを見る。気が付くと、ここは父の応接室だった。父は豪華なソファセットに、窓を背面にして座っている。 …それが本来、この、利幸の育った古い建物ではなく、「新館」と呼ばれる病院の方にある事も忘れて、利幸はうなずいた。
「あ、父さん、こちらは――俺…僕の先輩で…」
「はじめまして。…斎 美古都です。」
かすれた声で利幸の言葉を遮り、嫌味っぽく美古都がそう言った。その目はじっと利幸の父へ向けられている。なんとも言い様のないその視線は、 何故か利幸を不安にさせた。
「息子がお世話になっているようですな。…ようこそ、斎さん」
言葉こそ丁寧だったが、鼻の先で笑ったような表情だった。利幸はひやりとしたが、美古都はかまわず、 自らソファセットへ身を沈めた。いかな美古都といえども、亡者の群れを抜けてきた今、すっかり疲れている様子だった。
取り敢えず美古都が座ってくれた事で安心し、利幸も腰をかける。
「昨夜はすまなかったな、なにしろ急いでいたものでね。…どうだ、決心はついたのか?」
問われて、利幸はやっと今の状況を思い出した。そうだ。――昨日、トモから打ち明けられたのだ。そして自分は…逃げた。 父がなんとかしてくれるはずだ、と、そう思って。
だが、実際には、父はトモと別れるように言っただけだった。考えてみれば、当然のことだ。父のそういう性格を、利幸自身、知り抜いていた。 だからこそ、家を出たのだ。その利幸を、父は無理矢理連れ帰った。気が付いたら、自分の部屋だったのだ。
「決心って…それは昨日もお話したでしょう、トモは…彼女は、僕の子を妊娠してるんです。このまま、彼女をほおってはおけない。 そう、言ったじゃないですか…」
自然に声が小さくなってゆきながら、それでも利幸は続けた。
「僕はもう成人です。…お父さんの言うなりにはなりたくない。…僕は見つけたんです。大事なものを。 だから…僕は…彼女と一緒になります。止めないでください。…認めてください」
「駄目だ」
そう断言する父の目には、むしろ嘲りの響きさえある。
「言った筈だ。…お前は何も知らんのだ。そして何も知らないでいい。お前は私の決めた嫁を貰い、 しかるべき時期に結婚し、そしてしかるべき時に子供を作る。…それまで、お前は私に従っておればよい。」
「そんなの…おかしいですよ!」
父に逆らうことで、恐怖さえ感じながら、弱々しく、それでも、利幸は叫んだ。
「今どき、そんな封建的なことなんかおかしいです。…僕は僕の好きな、大切な人と一緒になりたい。 そんな、政略結婚じゃないですか、そんなの、変です。」
「他の家は知らん。だが、この家に生まれた限り、それを覆すことはできん。それに刃向かったおかげで、お前の母は死んだのだ」
「なっ…」
思わず立ち上がりそうになった彼を、何かがぐっと遮った。
見ると、美古都が、下を向いたまま、利幸の手を押さえている。
「美古都…せんぱい…?」
「それで――」
のろのろとした、それでいて絞り出すような口調で、美古都が呟いた。
「約定を破ったから、この子の母親を殺したの?」
途端、哄笑が響いた。
利幸の父の声だった。
「殺した?誰が?――私ではないぞ。私は手を下してなぞおらん。…母親が自ら命を絶ったのだ。自らな。あれはそうなる運命だったのだ。 それもこれも、お前のせいだ、利幸!」
次の瞬間、父の顔は利幸の目の前にあった。
「お前が生まれた――お前が。お前が母親を殺したのだ。だから、教えてやっただろう。お前のせいだ、と!」
幼い頃から、いつも言われてきた言葉――
だが母は、産後の日立ちが悪くて亡くなったと知らされていた。
「お前は自分の女もそうしたいのか?お前の女――あの娘も、自らの母のようにしたいのか?そしてお前の子も、自分のようにしたいのか?」
利幸は絶句した。
それこそ――自分が最も怖れていること…
父の様に冷たく、あるいは威圧的に、あるいは憎むように子供を扱うこと…
「どう…どうして…」
「いやだろう、お前のように、誰にも愛されず、誰からも必要とされず、父親の命令だけにすがるように生きることなど…。それならば私に従え。 ここへ戻れ。そして、あの女を忘れるのだ」
「嫌だ!」
利幸は叫んでいた。
「変だよ!変だ!父さん――そんなの、おかしいじゃないか。お母さんはどうして死んだんだ?そして何故、 トモがそんな目にあわなきゃならない?俺は彼女と一緒になる。それだけなのに、なにがいけないって言うんだ!」
混乱して、利幸は半泣きになっていた。
「今までずっと、父さんの言う通りにしてきた。全部、従ってきた…だけど、今度は譲れない。 これだけは、駄目なんだ!」
「逆らうのか」
「そうだよ!俺はもう、子供じゃない。…父さんから見れば、まだまだ子供かもしれないけど、でも、 その為にトモを捨てることは出来ない。やっと掴んだんだ。俺を頼ってくれる人、俺を信じてくれる、 俺を必要としてくれる人間を、頼むよ、俺をほっておいてくれ!俺は――」
叫びながら、昨夜、あの部屋を出ていく時のトモを思い出していた。
うつろな目で、ぼんやりと自分を見ていた彼女。
(帰って――来るの?)
信じていたものに裏切られた彼女。
逃げ出した自分。
もう、たくさんだ。
「帰るよ、父さん」
震える声で、静かに彼は言った。
「帰る?どこにだ。お前の帰る場所はここしかないのだぞ」
父の声が響く。
「彼女のところに帰る…ここには――もう…」
「無駄だ。」
あざけりを込めた声が応えた。
「それにどうやって、ここを出るというのだ?…この部屋から、一歩でも、お前は出られるというのか?」
言われて、利幸はやっと思い出した。
此処へは、どうやってきたのだ?
自分の部屋…自分が育ったあの部屋を出てから、一体何があった?
終わらない廊下、ループした階段、そして…亡者の群れ。
父の顔を見た。
いびつに歪んでいた。
これは、誰だ?
慕わしい――父。たとえ、それに、辛い想い出しかないとしても、この世で、自分が知る限り、ただ一人の保護者であった、父――
まったく同じでありながら、なにか、どこかが違う…
いやむしろ、同じ顔であるからこそ、それがはっきりと判る…
これは、父の顔をした、これは、誰だ…?
その時――
美古都が、口を開いた。
「いい加減にしてよ」


**********

「哲理が抜け出した?」
その形の良い眉を寄せて、修羅は問いただした。
F市郊外の、院家の別宅である。
恵を病院まで送り、帰ってきたのであった。
「申し訳ございません」
かすかに微笑みをたたえ、その別宅を預かる美しい女主人――茅は頭をさげた。
「哲理様の『お部屋』には、誰も近づかぬように申しつけておりました故――ひとり許された夜地殿は、 斎の姫にご同行でしたし、誰も気が付かなかった模様でございます」
「逃がしたな」
じろりと睨んでそういうと、修羅はちっと舌打ちする。
「お行儀が悪う御座いますよ、若」
ほほほ、と、茅が笑う。
「何故ほおっておいた。――お前も疾子殿と速美の言いなりか」
「奥方さまは何の関係も御座いませぬ。私は御前さまと若にお仕えしております。それに――」
意外そうな目で、茅は修羅の目を見つめた。
「判っておいででございましょう。哲理さまは滅多な事をなさる方ではございませぬ。じきに戻られましょう。 なにをそんなに心配しておいでです」
「心配は――あれの事だけではない」
「若。」
と、茅はその柔らかな手で、修羅の手に触れた。
「若はいずれ院家一門を統べる御方。あまりにおひとかたを優先させてはなりませぬ。 ましてや、あの方はご自分の面倒はちゃんと見られる方でございましょう。 そして、あの方の行く先も、若は見当を付けておられる筈。…どうせ大地殿が追っておられますよ。」
「判っている――行き違いというやつだ」
はあ、と茅はため息をついた。
「人並みになられてしまう若も、大変お可愛いらしくて、好ましゅうございますが…これでは御前さまがご心配になられるのも、 茅には判る気が致します。」
「判った。もう言うな――父上には好きに報告するがいい」
苦虫を噛み潰したような顔をして、修羅はそう言い捨てた。
確かに、哲理の行く先は判っているのだ――。


**********

「いい加減にしてよ」
美古都はそう言うと、まっすぐにその顔を上げた。
視線の先に、利幸の父の顔がある。父の顔をして、人間のふりをした、その存在に、美古都は我慢の限界まできていた。
「あんた、何を言わせたいの。何をしたいのよ。何が楽しいのよ。…この馬鹿ぼんぼんはね、馬鹿でも、いちおう自分の意志って奴をちゃんと表示したの。 もう、あんたたちの絡めた糸から抜け出すことにしたの。これ以上、この馬鹿を惑わせないでよ。側で聞いてるあたしの方が、 胸くそわるくなるってもんよ。」
「せ、先輩?!」
利幸が目をまるくしている。そうだろう、今日初めて逢った筈の、後輩の父親だと思っている相手に言う言葉ではない。
「あたしはこの馬鹿を連れて帰る。あたし達のところへね。…判ったら、この結界を解いて頂戴。言っとくけど、 さっきのゾンビもどきをけしかけたら、今度こそ切れるからね、あたし」
そう言い捨てると、美古都はさっと立ち上がり、利幸の手を引っ張った。
「帰るわよ、トシ」
「え、でも…先輩…どうやって」
「いいから!」言うとまた、向き直る「さあ、結界を解いて!」
「帰っても無駄だぞ――利幸」
父の顔をした「もの」は、楽しそうに言う。
「帰っても、お前の女はあの場所にはおらん」
「なんだって?」
飛び上がって、利幸は叫んだ。
「どこに――どこに行った…連れてったんだ!父さん!」
「私の言うことを聞くか?利幸」
「トシ!」
「なんだってトモを…。トモは、身重なんだよ!」
「トシ!こいつの言うことなんか、聞いちゃ駄目だって!」
「あの女はもう、この世の何処にもおらん。…お前の前には、二度と姿をあらわすことはない」
みるみる、利幸の貌が蒼白になる。
「――殺したのか?!」
利幸は叫んでいた。今までのどんな叫びよりも、それは大きかった。
「殺したのか?!どうして――トモを…俺の、俺の女と子供を…」
「私が憎いか?」
愉快そうに、父親がそう尋ねた。
「私が憎いか?女と子供を殺されたのなら、私を憎むのか。…それは良い。それがお前たちのあるべき姿だからな。」
「父さん!!」
「トシ!トモはまだ無事よ!」
掴みかかろうとしたトシの手を握り、美古都は叫んだ。
「先輩…」
「トモは大事な躯なの。…簡単に殺されたりはしない。だから、一緒に帰るの。あたしを信じて」
「どうかな」
父親が言う。
「母胎、この男の家――どちらも、『我ら』にとっては美味しい手駒だが、失ってしまっても換えはきく。 だが、利幸、お前がこのまま此処にとどまるというのなら、あの女の命は保証してやろう。子供の命もな。どうだ?」
「信じちゃ駄目!こいつの言うことなんか――」
「ホントに?父さん、本当に――」
「馬鹿っ!まだ判らないの?こいつは、あんたの父親なんかじゃ――きゃっ」
父親の目が光ったかと思うと、美古都は胸に衝撃を受けてよろめいた。そのまま、心臓を鷲掴みにされている様な痛みが走る。
「先輩!」
「利幸――」
「聞いちゃ駄目!そいつはあんたの――父親なんかじゃ――ない、判るでしょ、判る――でしょ」
息が出来ない。…声が、出せない。胸が、苦しい。
「先輩、しっかり…父さん…なにを…何がどうなってるんだ?」
「私が誰でも、それはどうでも良いことだろう。だが、お前が留まるなら、先の約束は果たしてやろう」
「そいつの…言うこと――なんか、聞いちゃ、駄目。そいつは…そいつらは――あたし達が…苦しむのを見て…っ…楽しんで…る」
あえぎながら、美古都は声を絞り出した。
「自分…は…手を…汚さず…に、あたし…たちに…契約を…――罪を…人を…いつでも…」
「先輩、美古都先輩!」
「いつ…でも…そう、あんたは、そういう…生き物…どうせ、木偶の坊――人形だもの…」
言って、美古都は、そこに居る「もの」を睨み付けた。
「人形だから――平気なの…よ――人を…操り、人の、弱い部分に――」
「お前がそれを言うかな、姫」
父親は――いや、今まで父親の貌をしていた、その「もの」は、もう既にその仮面を脱ぎ捨てていた。
50代の身体も、顔の皺も、すべてが変化していた。
そこに居るのは、ひとりの若い男だった。白い肌、白い目。…すべてがどこか禍々しい。 美しいと言っていいほどの容姿でありながら、見る者すべてに、寒気を覚えさせてしまう、そのオーラ。
「あつ…ひこ――」
玖亥敦彦――魔物。闇の傀儡。
「人は弱い。本当はそれを望んでいるだけのことだ。実際、この若者もそうだ。身重の女と子供をおいて、父親の元へ逃げ込もうとした。 女は女で、この若者のことも知らずに子供を宿し、受け入れられないと知るや、我らの誘いに乗った」
「あん…たはっ…」
「我らはただ、人がいきたい道を、通りやすくしてやっているだけのこと」
そして、呆気に取られて目を見開いている利幸に話しかける。
「我らは契約を守る。君の父の父も、あの女の母の母も――我らは約定を守った。お前が望むなら、 必ずそれを叶える」
「あんたは…誰だ?」
畏れおののきながら、低い声で、利幸が呟いた。
「父さんは――」
「もちろん無事だ」
くっくっと、敦彦が喉の奥で笑う。
「ただし、あの男はもう使えない。…代わって君がそれを嗣ぐことになるだろう。これは、君と君の家の為でもあるのだ」
「だ…め!――トシ…そいつの言うこと…は全部…嘘…」
「嘘などついてはおらぬさ。そうだろう、姫。――我らは繁栄を約束する。引き替えに、彼の家はそれ相応のものを、我らに差し出す。 そのために、どんな手を使おうが、我らは知らぬさ」
「そんな…こと――許さない…から…っ」
美古都の目に涙が溢れた。うめきながら、自らの無力さを歯軋りした。
…もうちょっと、自分にもうちょっと力があれば、と。
いや、むしろ、敦彦に心臓を掴まれていながら喋ることなど、普通に出来る事ではなかった。通常ならば、 その場で死んでいてもおかしくはない。敦彦が力を放った瞬間、僅かにそれを遮ることが出来ただけでも、 たいしたものなのだ。だが、今はそれでは足りない。そして、美古都の力は、彼女自身にはコントロールできない。
彼はそれを知っている。だからこそ、こうして嬲ることができるのだ。
「お前がそれを言うかな。姫」
敦彦は、哀れむ様にもう一度、そう言った。
「自ら可愛さに、哲理に恋人を殺させた人間が――」

瞬間――

美古都の頭が、真っ白になった。
視界から、すべてが消えた。
利幸の、目を見開いた顔が見えた。
敦彦の、昏い笑みが見えた。
そして――

TO BE CONTINUED…


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