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LUNATIC DOLL・38

Blue Revolution


蒸し暑さに、利幸は目を覚ました。
ねっとりとした空気が重い。頭がガンガンとうなりを上げている。二日酔いでもした気分だ。
はあ、と息を吐き出し、目をあける。日射しがまぶしい。カーテンを閉め忘れたのだろうか、と思って光のある方向へ目を向ける。
(――?)
自分の部屋ではない。しっくいの壁。白い天井。見覚えのあるがっしりとした窓枠。その先の緑の木々。
(――父さん!)
急激に戻ってきた記憶に、頭痛を刺激されて思わずうめきながら、利幸は起きあがった。 辺りを見回し、そこが間違いなく、自分の部屋――それも実家の――であることを確認する。
外は明るい。ということは、父親と対面してから、一晩がたっているということだった。
では、父は自分を連れ戻したのだ。
薄れてゆく視界の向こうで、にぶく光っていた父の瞳を思い出す。あれは、尋常じゃなかった。
確かに昔から、父は自分に冷たかった。なんでも言うことをきかせようとし、自分はそれに唯々諾々と従ってきた。 興味を持ったことも、好きだった本も、すべて父の「検閲」が済まなければ得ることはできなかったし、 友達さえも選ばされた。特に女の子は論外だった。そんな中、ラジオと図書館の本、そしてひっそりとした夢を片手に、 いつか父の下を逃げ出したいと思っていた日々。――この部屋はその頃のままだった。無いものと言えば、机の上に置いていたラジオと、教科書と参考書のたぐいだけだ。
だが、自分はあの日をもう抜け出したのだ。大学に進学し、好きなものを見て好きな本を読み、友を得た。そして、やっと見つけた自分の居場所――恋人、友美。
そして、実感は湧かないながらも、やがて生まれてくるだろう、自分の子供。
父親はそれを否定した。そして利幸の為だと言い、自分をここに連れ戻したのだ。
どうしてなのだろう。
どうして父は、あそこまで自分を縛り付けたいのか。どうして、友美と共にいることを、自分の見つけた一人の女性を、受け入れてくれないのだろう。
利幸は頭をふって、ベッドから降り、机に向かって腰掛けた。――昔、いつもそうしていた様に。
答は判っている。利幸の存在が辛かったのだ。父は――そうだ。今なら少し、判る気がする。そしていずれ、もっと判る様になるのかもしれない。
もし、子供が生まれても、それで友美を失ったら。
今となっては、自分のたったひとつの拠り所を、失ってしまったら。
自分は、子供を愛することが出来ないだろう。
父は母を深く愛していたのだという。それはまわりからも耳に入ってきたし、事実、父は時折「お前さえいなければ――」と、母の事で自分を責めた。 それが不合理だと判っていても、父はそれを抑えることが出来なかったのだ。利幸しか、ぶつける相手がいなかったのだから。
だが、それでもいきすぎだと思う。利幸は父の「持ち物」ではない。判ったからと言って、それに甘んじるわけにはいかない。
自分は見つけてしまった。友美を。自分の生き方、自分の相手、自分の家族になるかもしれない場所を。 それを取り上げられるのは、何よりも辛く、痛い。この場所――父という存在を、見ない振りをして得た場所であっても、 今は、友美を、その存在を、失いたくない。
どうしてなのだろう。
父は友美を認めない。それは、父があてがったものではないからか? 確かに、友美のバックには、病院を経営している両親もなければ、資産を抱えた者も、政財界に顔の利く親戚もいない。 だけど、それだけであんなに、あそこまで…生まれようとする子供さえも殺していいものなのだろうか。
否。
そんな事はない。絶対にない。
では、何故なのだろう。
父は、…愛する者を失う苦しさを知っているはずなのだ。確かに、そのせいで自分は――その責めを負わされて、辛い思いもしたかたもしれない。
だけど、あの父の様子は、それまでに自分が見てきたよりもずっと、ずっと――どこか、おかしくて、どこか異様な…――
  『まともな子が産まれるはずがない。…あの場所で出来た子供など…』
あの時、父はなんと言ったのか。
  『なにも知らん、ひよっ子のお前が』
何も知らない――と。そう言った。
なにがあるというのだ?そうだ、考えてみればあまりに異常だ。外に立ってみれば…父の自分に対する態度は、いきすぎだとしか思えない。
そして、「あの場所」にこだわったのは、何故だ?
  『――お前は判っておらんのだ、あの場所で宿った子供がなんなのか…何を意味するのか――』
何を意味しているというのだ。友美と一緒に築いた場所が――それが、そして、そこで宿った子供が…何か、意味があるのだろうか。
そして、あの、車の中での、父の様子。
違う、あれは、尋常じゃない。
よく考えろ、利幸――。このご時世だ。何があってもおかしくないぞ。それに…そうだ、うちは、いろいろないわくがある家だって噂があった筈じゃないか。 ――どうしてそれを忘れていたのだろう。いつだったろう、あれは――ずっと前に…
(君も大変だねえ。お母さんは亡くなるし、色々な噂があるし…)
何故忘れていたのだろう――?
(御本家も、こちらにいらしてからは、順調でいらっしゃるみたいだけど…)
そうだ。うちは…香月家は、昔からいろいろと因縁ある、人死にの絶えない家だと、聞いた事があった筈なのだ。
あの場所は、うちが元々在った場所。そして、父が家を出る事を赦したのは、あのマンションだったから――
なにか、つながりそうな――そんな苛立たしさが沸き上がる。
よく考えろ利幸――落ち着いて。
香月家に係累は殆どない。居るのは嫁いできた女性の家だけだ。事実、あのマンションの管理をしている叔父も、香月姓を名乗っているが、 実際には利幸の母の弟だ。父は一人っ子だし、祖父にも兄弟はいない。祖父の生まれた時代を考えれば、かなり不自然だ。 祖父の愛人であったという女性さえ知っているのに、その子供だという親戚には会ったことがない。 何故だ?
そして、父はあの場所にこだわった。思い出す。家を出てゆくことを、父が許してくれた夜――あの時初めて、自分は父と同じ「人間」なのだと感じた時、 父は言っていた。自分も若い頃、あの町へ、あの場所へ行っていたと。お前もこの家を継ぐ限り、一度はいかねばならないのだと――そうだ、すっかり忘れていた。
あの時自分は、この家から出られる喜びを隠すことで精一杯だったのだ。
そして、得た自由に浸ることで。
父に会う。
会って、確かめなければ。連れ戻されたからと言って、このままでいいわけではない。
そう決心した筈だ。
友美の顔が浮かんだ。哀しそうな、すがるように、どうして、と問いかけていた、あの瞳。
自分はあれを置いてきてしまったのだ。二人が培ってきたその場所に。
いけない。このままでは――良いはずがない。
じっとしていられなくなって、利幸は立ち上がった。ともかく、父に会おう。そして談判しなければ。
ふいに、昨夜の父の瞳が脳裏をよぎる。
――変だ。なにか変だった。随分長い間、離れて暮らしていたとは言え、様子がおかしいのは判る。 まがりなりにも、父なのだ。今までとは――違う。
友美のことも、父も、そしてこのわけの判らない状態も。このままでは駄目だ。自分が動かなければ。
父はどこにいるのだろう。今日は日曜の筈だ。家の中にいるのだろうか。出かけているかもしれない。 或いは病院の方にいるのかも――ともかく探さなければ。話し合い、そして、友美の元へ戻らなければ。
――その時。
コンコン…
利幸の部屋をノックする音が聞こえた。


********


「――んー、じゃあ、ここが裏門で、この二階の部屋にトシが居るのね」
ハンバーガーをほおばりながら、美古都が言った。車の中である。
「おそらくは――。利幸さんを連れた車はこの門の前に止まり、そこから運ばれて、その後にこの部屋に灯りが点いたという話ですので」
「結構広そうな建物だけど、入り口はここしかないの?」
と、図面の一部を指す。
「門のそばには通用口があるようですが、確認は出来ていません。この図面も古いものですから」
「こっちの」
と言いながら、建物全体を指す。
「結界の入り口は、さっき行ったところだけなのね?」
「はい。利幸さんが運び込まれた後、同じ場所から侵入を試みたようですが、門そのものが判らなくなっていたという話です。 ――決して手練ればかりとは申しませんが、仮にも我らの一族の者。見破れぬ程となると、相当でしょう。 あの場所から入る以外、今のところ有効な手だてはありません」
言って、夜地はウーロン茶を飲んだ。
「仕方ないか、内部から破れるかな」
「確実なところは判りませんが、門が物理的に存在している以上、可能ではないかと思います。 門を開けたのは内からだという事ですし、その者たちも、特に術者であったわけでは無いようです。 見張っていた者たちの気配には気づかなかった様ですから」
「じゃあ…」
と、美古都がレモンスカッシュを一口。
「私がここから入って行って、こう…」
指で、入り口から裏門までを指でなぞる。
「外側からまわって、通用口から建物に入る、と。階段はすぐそこにあるわね。」
「では、わたくしは玄関から…」
「ううん。夜地は裏門にまわって。――あたしとトシちゃんが出てきた時、すぐに車が出せるように。場所の見当、つくでしょ」
「しかし!それでは――」
言いかけようとする夜地を手で制し、図面を見てストローを口に含んだまま、美古都は続けた。
「どうせ二手に別れるなら、面倒は避けたい。トシは夜地の顔が判らないでしょ。それに、どっちかがうまく連れ出せても、落ち合えなかったら困る。 その後、また新館の方へ戻るのも避けたい。人目を引くのは困るもん。――トシのお父さん、新館の院長室に居るんでしょ」
「予定では、昼過ぎに来客があるとのことですから」
あきらめた様に、夜地が応える。
「うん。やっぱそれがいいよ。夜地の技量が私なんかより上だって事は知ってる。だけど今回は黒子に徹してちょーだい。 でなきゃトシが混乱する」
「――危険です」
「わかってるよ」
美古都は口を放して、顔を上げた。にっこりと笑う。
「覚悟は出来てるって」
はあ、と、夜地はため息をついた。美古都の性格は判っているのだ。
「承知しました。では、これを――」
夜地は車のダッシュボードを開け、中からなにかを取り出した。一見、電動ひげ剃りの様に見える。
「なに?」
「スタンガンです。今、香月家の住居には誰も居ない筈ですが、妙なボディガードの様な連中が居ないとも限りません。 『連中』には効きませんが、普通の人間なら、ショックを受ける筈ですから」
「うわー…いいの?そーゆーもんを持たせて」
「おひとりでいかれるという事なら、仕方がありません」
「さんきゅ、持っとくわ」
笑ってそれを受け取ると、ポケットにしまい込む。
「どうか、くれぐれも気をつけて――」
「心配性ねえ…夜地ってば。確かにあそこはアブナイ結界があるけど、今は誰も居ないんだし。 『連中』は刺激さえしなければ襲って来ないわよ。哲理じゃないんだから。」
「美古都さまは充分刺激的ですよ」
やれやれ、といった風に、夜地が言う。
「――ご自分で力をコントロール出来ない状態が、どれほど危ないのか、判っておられるのか…―― 若もそれを心配しておいでです」
「えー、ひどいな。普段は私、フツーのOLじゃない」
おどけた様に、美古都はコロコロ笑った。真実そう思っているかどうかは別として。
夜地はそれを見ながら、不安そうな表情を隠さず、もう一度ため息をついた。


********


「――はい?」
緊張した声で、ノックに応え、利幸はドアの方を見た。父だろうか――?
だが、ドアが開いた向こうに居たのは、無表情の看護婦だった。
「お食事です」
短く言うと、盆に乗った料理を持って部屋に入り、ゆっくり歩いて机の上に置く。そのままくるりとドアの方へ向き直り、部屋を出ていこうとする。
「――ちょっと、待ってください」
利幸が声をかける。が、看護婦は見向きもせず、そのまま部屋を出た。ドアがぱたんと静かな音を立てて閉まる。
机の上には、白い御飯、みそ汁、煮物、サラダ、卵焼きといった料理がおさまっている。病院の献立なのだろうか。 妙に幼い頃の事を思い出し、利幸は苦笑した。小学生の頃から、食事と言えば病院の献立だった。母はおらず、家政婦は夜には帰ってしまう。 夕方になるといつも、今の様に、看護婦が盆に乗った食事を運んできた。若い看護婦も居たし、年を取った者もいた。 だが、皆一様に冷たかった。利幸と個人的に話をしてくれたり、遊んでくれた看護婦は、しばらくするうちに皆、病院から姿を消した。 父がそんな看護婦たちを辞めさせていたのだと知ったのは、随分大きくなってからだ。 それがもう、ショックには感じなくなってしまった頃、看護婦たちの会話を立ち聞きしたのだった。 何故父がそんな事をしたのか、利幸には判らない。だが、その時はもう、どうでもよかった。父に対する気持ちは、あきらめに似たものになっていたからだ。
だが、今度はあきらめない。
利幸はドアを開け、部屋の外に出た。



ねっとりとした空気が、身体にはりついてくる――
そんな感じがした。
長いこと帰っていなかったとは言え、自分が育った家である。懐かしい気持ちになりそうなものなのに、 そんな気になれない。
部屋の中はまだ違っていた。様子が変わっていなかったせいもあるし、誰かがちゃんと掃除をしてくれていたのかもしれない。 だが、この廊下はどうだろう。もう使われていない、古びた建物のにおいが充満している。それでいて、空気が重い。
家の中が暗い。
すぐそばに窓があるのに、陽光が入って来ていないような印象を与えるのだ。
父は、もうここには住んでいないのかもしれない、と、利幸は思った。
新館が建ってからは、それほど帰っていないが、あちらにも院長の寝起きできる部屋があるのは知っている。 接客などはすべて向こうでやっているし、いざとなれば、暮らすことの出来るだけの設備が整っているのだ。
この家の父の居間は、一階のなか程にある。階段はすぐそこに見えている。
なのに、妙に歩きにくい。一歩一歩が重たく、床が利幸を捕まえ、前へ進ませない様にしているようだ。
それでも、利幸は進む。このままではいけないとそう思いながら。
約五分もの時間をかけて、ホンの数メートルの距離を歩き、階段を降りようとした時――
「う――うわっ」
利幸の目の前に、何かが振り下ろされた。あわててそれをかわして、一歩後ろにさがろうとし――足をすべらせる。階段に躓き、立っていた誰かとぶつかった。白い手が利幸の襟首を掴み、身体ごと持ち上げられる。
「う、うう」
先ほど部屋に料理を持ってきた、あの無表情な看護婦だった。やはり無表情のままで、利幸を締め上げる。 信じられない怪力だ。白い腕には血管が浮き出ているというのに、その面は相変わらず変わらない。
「な、なに…」
利幸はうめいて足をばたつかせ、思い切り看護婦の身体を蹴った。背に腹は代えられない。 反動で看護婦は利幸を放し、後ろにひっくり返った。がたんがたんと、その身体が踊り場まで転がってゆく。
利幸は締められていた首を押さえ、大きく息を吸った。苦しい。喉につかえてげほげほと咳が出る。壁によりかかって下を見ると、看護婦は仰向けにひっくり返っていた。
「――?――」
看護婦は動かない。
息を荒げたまま、一歩一歩、ゆっくり階段を下りていく。
踊り場まで降りて、利幸はあらためて、その看護婦を見た。それほど大きくもない普通の女性なのに、その腕だけが妙に白く、太く、筋肉質で、それがどこか歪んだ印象を与える。
おそるおそる、利幸はそれに近づく。
だが、動かない。目をむき、腕を広げた格好で転がったままだ。
一瞬、利幸はこのまま行こうかと思い、あわててその考えをうち消した。わけの判らない状態とは言え、人がひとり倒れているのに、ほおっておくわけにもいかない。 そおっと近づくと、腕を取り、脈を取ろうとした――が。
「え?」
脈がない。
仰向けの胸に耳を押しつけてみる。しかし、期待した心音も聞こえない。口元に顔を寄せてみる。息をしていない。――看護婦は、動かない。
「うそ…だろ」
利幸の顔が青ざめてゆく。
階段の上から踊り場まで、ほんのちょっとの高低差しかない。そこを落ちただけで、こんなに簡単に…死ぬはずがない。だが、現に、脈は取れない、心音も聞こえない。 そんな馬鹿な――と、思った次の瞬間、
「うわっ」
またしても白い腕が利幸を掴んだ。看護婦は目をむいたままでむっくり起きあがると、利幸を抱えたまま立ち上り、その腕で利幸の首を締めに入る。
(馬鹿な――)
一瞬前まで息もせず、脈もなく、心臓も止まっていた人間が、こんな風に動けるわけがない――と、頭はつぶやいていた。だが、身体はそれどこではない。怪力の看護婦に首を絞められているのだ。 理屈を考えている時ではなかった。もう一度看護婦の腹を蹴りつける。同じだった。反動でその身体は後ろに倒れる。しかし今度はかまうのをやめた。いつまたあの白い腕が首を狙ってくるかもしれない。 倒れた看護婦をよけ、利幸は急いで階段を下りようとした――が。
急げない。
どうしても早く動くことが出来ないのだ。なにか大きな力が、利幸の身体を押さえ、動かさない様にしているとしか思えなかった。空気が、床が、その行く手を阻んでしまう。
だが、だからと言ってじっとしているわけにもいかない。だいいち、先ほどの看護婦がまた目をさましたら――
そう思った瞬間、後ろでガサゴソと音がする。
「くそっ」
利幸は、必死で動いた。はたから見れば、のろのろと歩いている様に見えただろう。だが利幸は走っていた。走って階段を駆け下りる。 もう、首を絞められるのはごめんだ。だいいち、あの看護婦は心臓が止まっていたんだぞ?
階段を駆け下り、廊下に出る。取り敢えず父の居間へいけばいい。すべてはそれからだ。落ち着け、利幸、おちつ――
「な、なん…」
階段を下りた利幸の前に、また、あの看護婦が立っていた。しかも、今度はひとりではない。
何人もの白衣を着た集団が、いつのまにか利幸を取り囲んでいたのだ。
顔は違う。だが、皆一様に無表情なまま、どこかいびつに立っている。ある者は腕をだらりと下げ、ある者は顔を蒼く膨れあがらせ、そしてある者は目玉を飛び出させ――
その白衣の群が、一斉にうごいた。
「わあああっ」

TO BE CONTINUED…


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