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LUNATIC DOLL・37

Paradise 2


「うわ…――すっごぉ…」
車から降りると、美古都は目を見張って言った。
鉄筋コンクリートの5階建て。モダンな建物だ。外壁は薄いベージュピンク。 ごてごてした感じはせず、だからと言って寂しいほどでも無い。適度にシンプルで、適度に華やかさがあり、 それでいて訪れた者が、どことなく落ち着く様に作られている。 車を止めた門から建物までは30メートルほどの距離があり、柔らかな広葉樹が植わっている。 車で入れる様に門は広いが、駐車場は外からは見えにくい。 緑の間に車の影が見えるので、中に車があるのだと気がつくが、そう言われなければ歩いていくだろう。 門の内側の道も舗装されてはいたが、それとは別に、煉瓦風に敷き詰められた小途があり、ちょっとしたお洒落な散歩コースに見える。
病院そのものの大きさよりも、そのまわりにお金をかけている――そんな感じのする、気持ちの良い建物だった。
「ホントにここなの?トシちゃんの実家」
車の方を振り返ると腰をかがめ、まだ座ったままの夜地に向かって、小声で美古都がささやく。
「ええ、香月総合病院。香月利幸の実家です。」
うなずいて、夜地が応えた。
「――うーん…」
困ったように美古都が眉間にしわを寄せる。――なんとなく、しっくりしない。
「どうされますか?入ってみますか」
「そりゃ、入らなきゃ仕方が無いんだけど…なんだか良い感じなのが不思議でさあ」
美古都ははあ、とため息をつく。それを見て、夜地は軽く微笑んだ。
「外から見ただけでは判らないでしょう。ともかく、わたくしは車を入れます。美古都さまは建物の入り口で待っていてください。」
「判った。…なーんか拍子抜けしちゃうな。良いお天気だし、散歩って感じだわ。」
ぶつぶつとつぶやきながら美古都は手を振る。いらえは無かったが、そのまま静かに車は動きだし、軽やかに門の中に吸い込まれていく。
空がまぶしい。
美古都はハンドバッグを抱え治すと、門を入って煉瓦の小途をゆっくりと歩いた。
緑がやさしく、風にそよいでいる。
夏はもう終わっている。秋晴れというのだろうか、天は高く、蒼く、澄み切っている。戦闘開始――と意気込んできたというのに、 こんなに気持ちが良いと気が抜けてしまう。それに…
(なんだか、信じられない…)
美古都は夢を『あれ』を見た。それが何年も、何百年も昔のことであったとは言え、その呪は今になお、残されている。 だからこそ今回の様なことが起こった。友美はやつらの手にある。それだけの「業」を背負っている家とは、 到底思えないほどの柔らかな「気」が、この建物のまわりには満ちている。
(まるで、なんか、浄化されているみたい…)
どこかでこんな風景を見たことがある、と、美古都は思った。――風景ではないかもしれない。そうだ、この、 柔らかな空気。訪れる人がほっとする感じ。爽やかで、清潔で、静かな気に包まれている建物――どこだっけ。
美古都の中でいくつかの建物が現れて消えていく。学校、知っている病院、そういうもの。どれも似ていて、でも、ここまで 静かではない。人が集まるところには、それなりにざわめくものたちが寄ってくる。それが人界というものだ。 教会、お寺――いや、違う。ああいうところは戦場なのだと、哲理が言っていた。事実、神のおわすとされるところは、同時に戦いの場だ。 清浄でありながら、人の想いに満ちている。そうでない部分もあるのだが、それはこれほどまでに建物全体を覆ったりはしない。 所詮、建物とは、人が住まう場所であり、人は清濁を併せ持つ生き物だからだ。
(結構最近なんだよな…――うわ、ここまでやるかって思ったもん…ええと…)
その建物は出来たばかりだったのだ。やはりピンクベージュの外壁で、柔らかでシンプルなものだった。
(どこだっけ…)
「――ここが建てられてから、まだ五年にもなっていません。その頃に建った建物と言えば、よくご存じの場所があるでしょう」
「うわっ…びっくりするじゃない」
後ろに夜地が立って、病院を見上げていた。気がつくと、建物の前に来ている。
「五年くらい?それって、バブリーな頃だよねえ」
「はい。香月家は、第三次高度成長時代に、この新館を造ったそうですから」
「その頃――あっ!そうか、市庁舎の新館だわ!」
夜地がうなずく。
美古都たちの住むF市の市庁舎は、闇黒期に徹底的に破壊され、その終わりと同時に建て直された。 しかし「彼ら」の爪痕はその中に強く残り、ストレスに耐えかねて辞めていく職員が後をたたなかった為、 五年ほど前に新館と称して新しい建物が作られたのだ。もちろん、元の市庁舎は残されている。殆ど人も入らず、 あまり使われてもいないが、いくつかの対妖魔系のセクションが使用している筈だ。 新館の方はがっちりとガードされ、職員達や訪れる人々のストレスも妖気も吸収するように 作られているのに対して、旧館の方はそれを寄せ集めるかの様になっている。 美古都は少し前に、旧館と新館の両方で「アルバイト」をやった事があるのだ。
「つまり、そういう風に造られているってこと?凄いわね、香月さんちって」
「珍しくはないでしょう。それを専門に請け負う者達もいますし」
「――なに?院家のかかわりって、そういう事?」
それには、夜地は微笑んで応えない。
ふう、と美古都はつぶやき、自動ドアの前に立つ。ドアがすっと開き、玄関のロビーが広がる。
日曜日で外来が休みのせいか、人はまばらだった。右手には売店、左手には大きな受付と薬局。 奥には大型の壁掛けテレビがあり、その前に入院患者らしき老人達がたむろしている。 床は大理石風。壁は外壁よりも柔らかなベージュ。趣味の良いソファがいくつか。 その横にはグリーンインテリア。灰皿。
向こうから歩いてくる看護婦さんがこちらに気がつき、にっこりと微笑んで会釈する。どう見たってブランドものの制服。
「バブリーだわ…」
贅沢この上ない、しかし、穏やかな空間だ。
「なんでよ、なんかおかしいよお」
情けないと想いながら、美古都はつぶやいてしまう。平和だ。この空間は、どこにもいやみがなく、良い病院としか――かなり入院費が高そうというイメージはあるが――言いようがない。
「病棟をまわってみますか?」
「いいよ。――雰囲気は判るもの。ねえ、トシちゃんが連れ戻されたのって、ホントにここ?」
「そうです。――ただし」
「え?」
振り返って、夜地を見る。顔を上げたところにあるその顔が、にっこり笑う。
「敷地は同じですが、建物は違います」
「な、な、それって――」
大声を出しそうになる美古都の肩を抑えて、夜地は微笑んだ。――口元、だけで。
「市庁舎と同じです。この建物の裏に旧館が建っています。香月家の家族が――今は当主だけですが――住む場所です。」
美古都の息が、一瞬、止まる。
「そこは、どんなになってるの?」
夜地は首を振った。
「ここを、見て、よく覚えておかれることです。これが――これが香月家が手に入れたもの。守っているものです。」
「夜地…」
(――そして…)
肩におかれた手から、言葉が流れ込んでくる。
(そして、我らが守ろうとしているもの。ここだけではなく、この国中で、この清浄な空間を作り、守り、――そのために命を落とし、 汚泥にまみれ、血で血を洗うことを繰り返しても、人が見ようとする楽園。偽りの美しさ…。)
その目は美古都を見てはいなかった。まっすぐに奥の方へ向けられている。それは何を見ているのか、テレビの前で、のどかな団欒を築いている老人達なのか…。
肩に乗せられた手に、美古都はそっと触れる。
(それでも、それを守ることは大切だよ)
はっとした様に、夜地の目が美古都に戻る。
(そう思っているでしょう。――そりゃ、人は間違いを犯すよ。それが人だもの。 闇をむさぼるのも、光に焦がれるのも、人だからそうする。そしてたまには、この柔らかな空間を恋しがる。…でしょ?)
「聞こえましたか…」
夜地が苦笑する。自分の心の声が、美古都に伝わっていたとは思っていなかったのだろうか。
「――美古都ちゃんを舐めちゃあかんよ」
ふふっと、美古都は笑った。
「いいんじゃない?騙されて幸せならそれで良い人もいるんだし。偽りでも救いが欲しい人もいるんだよ。 みんな、院家の人たちみたいに強くはないよ。こういう人たちがいるから、院家みたいなのも成り立ってるんだしさ」
「詮無いことです」
目を伏せて、夜地は微笑む。
「わたくしは役目を果たすだけのこと」
「――ふふん」
美古都は意地悪く笑った。そして、哲理を思った。
ここは、今、彼女が座っている場所とは対称的だ。 同じように造られ、守られた空間であり、住人は同じようにその中にこもっていながら、 哲理は悩み、苦しみ、自分を責めている。そしてこの場所に居る者たちは、 ストレスを極限まで感じることのないようにされ、柔らかな気に包まれ、回復の時を待っている。
ここは、必要な場所なのだ。
たとえ、偽りの楽園でも。それを守らねばならない。
(ほんとうに――?)
確かに香月家はいろいろなことをしてきたのかもしれない。でも、だからと言ってここに憩う人々に罪があるわけじゃない。
(誰かの犠牲の上にあぐらをかいて――)
その犠牲を強いたのは誰だ?その犠牲を作り出したのは、彼らじゃない。
(余所を見て見ぬ振りをして――)
見て、苦しんで、そして彼らをもその苦しみに突き落とすのが良いことなのか?
(何故、私だけが――彼の心を掴めたはずなのに。どうして――)
「これは、彼女の心ね、きっと。」
美古都は小さく言った。
間違いじゃない。決して。でも、全部正しいことなんか、この世の中にはあり得ない。
だけど、それでも行わなくてはならないことがある。
香月家がどれだけの事をしてるのか、これから自分が動くことでどんな報いを受けるのか、それは判らない。
だけど、小さなほころびは治さなくちゃならない。どんどん、どんどん、大きくなって行く前に。
「利幸は、旧館にいるのね」
「――はい」
「行こう、夜地。もう判った。――私は失敗するわけにはいかないんだ」
夜地がうなずく。
失敗すれば、友美は取り返せないかもしれない。それでも、世界は変わらない。 利幸はここに居座って、香月家は継続されるか、或いは、潰れるかもしれない。 どこかで魔物が一匹孵って、災いが起こるかも知れない。でも、世界は変わらない。 この空間はなくなってしまうだろう。香月家がその呪によってのろわれ、 そして守護を受けているならば、この場所はなくなるだろう。だからといって、 それはほんの一握りの人のささいな幸福がなくなるだけのことだ。
けれど、それは、やはり小さなほころびを作り出すことになるのだ。
美古都は、ぼんやりと老人達を見やった。
少し古いタイプのお笑いタレントの画像が見える。くだらないジョークが流れ、テレビの周りに軽い笑いが起こった。
「――旧館に行くには、どうしたら良いの?」
「こちらへ――結界があります。きちんとした経路を辿らなければ、入ることはできませんから。行ってみますか?」
「そうだね」
こくんとうなずく。二人は廊下に向かって歩き出した。




「こちらです」
いくつかの角を曲がり、渡り廊下を過ぎて、「プライベート」と書かれた扉を開けると、その向こうはまた緑だった。
日曜であるせいか、看護婦の姿は少ない。いや、もしかすると変わらないのかもしれないが、 二人が歩いてゆく廊下には滅多に姿を現さなかった。元々、限られた人間だけが行く通路なのかもしれない。 一目で部外者とわかる二人連れだというのに、誰も誰何しないのがちょっと不自然だった。もしかして目くらましでもしているのかと思って聞いてみたが、 夜地は何も応えない。あまりに堂々として歩いていると、部外者には見えないのかもしれないと思った。
玄関の庭とは違って、こちらは荒れ放題だった。芝はのびすぎているし、雑草が生い茂ってそれを覆い隠すほどだ。 美古都の背丈ほどの若木はいくつかあるのだが、どれも延び放題で、人の手が入っていないという感じである。 それでもそこそこに美しいのが緑なのだが――どうしても「荒れている」という印象が否めない。そしてその緑の向こうに、小さな門が見えた。 それにも緑が這っている。ちょっと手入れすれば貫禄でも出そうなのに、と思ってしまうようなものだ。
だが、問題はその門から先にあった。
「――う…」
知らず知らずのうちに、左手が口を押さえている。
「見えますか?」
「なんだか――変…」
眉を寄せて、美古都はつぶやいた。美古都のPSY能力は気まぐれだから、それほどいつも発現しているわけではない。 だが、その気配が桁外れに大きければ、身体の方が勝手に反応する。自身でコントロールがきかない分、余計に。
「門から向こうは旧館――本来は、先ほどの扉までが結界でしたから、この場所も外ということになります。夜であれば、怪談のスポットですね」
柔らかに、夜地が言う。
「うーー、そういうコト、そんな声で言わないでよ。――こっちはなんか気分悪くって…」
「今からそれでは、持ちませんよ」
にっこりと、夜地が笑った。その顔が気に入らなくて、思わず平手が出る。
軽く頬をはたかれて、夜地は困った様にまた笑った。
「笑ってばっかいるんじゃないっ!」
「申し訳ございません」
「馴れるまで、ちょっと待ってよ。――今まで居たところがあそこまで清浄じゃなかったら、こんなに感じなかったのに…あー、もう、きもわるー」
言ってから美古都は息をつき、それから上を向いてすっくりと立った。 ここの緑は、汚泥にまみれてはいないが、決して清浄でもない。
目をつぶり、ゆっくりと空に向かって顔を上げる。秋のまだ強い日射しが、美古都の白い顔に降り注ぐ。
(大丈夫、いける)
ゆっくりと、美古都は息を吐き出した。そしてまた、ゆっくりと息を吸う。
その手から、その口から、その身体から。
その緑から、その日射しから、その大地から。
(ここは、普通だわ――あの門の向こうはちょっとしんどそうだけど――いったん出てから入り直した方がいいな)
哲理にくっついてる時のコトを考えれば、馴れたものだ。
しかし、先ほどまでの場所とは、なんと違うことだろう。 あの門の向こう側が違うのは判る。そこは空気が歪んでいるからだ。だが、ここは、決して瘴気に犯されているというわけではない。 緑があり、太陽があり、大地があり、その気は自然のものだ。 それだというのに、新館のロビーの時の様な柔らかさはない。
ああ、これなのかもしれない、と、美古都は思う。
偽りの空間というもの。自然は、あんなに優しくない。いや、優しい場所もあるけれど、もうあまり残されてはいない。 人はそれを自ら壊してきたし、奴らの介入によって起こった戦いで、更に少なくなった。自然は厳しく、そして素直だ。 あるがままの場所はそこにあった強い気を発し、大切にされた場所には柔らかい気が育つ。そして荒れた場所には、そういう空気が育つ。
この場所は、すさんでいる――と、美古都は感じていた。
人工的でない分、ここに人々が落としていった想いは、空気に吸収されて、木々の、緑のその姿に反映されている。
誰かはここで哀しみを落とし、誰かは虚無感を落とし、誰かは怒りを落とし――そして、哀しみとせつなさと、優しさを残した。
あの扉から先にそれを持ち込まない様に。
そして、あの門の向こうへ入る前に。
ここはちょうど境界線だったのだ。
たっぷり、五分間、深呼吸をして、ゆっくりと美古都は目をあけた。
夜地が、そのままの姿勢で見つめているのが、目に入ってくる。
「ありがと。邪魔が入らないようにしてくれたんだね」
「――いえ」
それだけ、夜地は応える。
美古都は、緑の中をゆっくり歩いていき、その門の傍へ寄った。右手をあげて見つめ、ぎゅっと握りしめる。
その手を、門の向こうへ滑り込ませる。
とぷん。
しないはずの音がしたように思った。
空間が歪んで、波紋を造った。
ひゅー、と口笛を吹く。
「たいしたもんだわ」
言って、手を抜く。同じように波紋が広がり、そして消えた。
「行けそうですね」
「――いったん、ここを出よう」
引き抜いた右手をゆっくり見回しながら、美古都は言った。
「旧館の図面が見たい。二人で一緒に行っても仕方がないし。 二手に別れて行動した方がいい――トシの居る部屋は判ってないって言ってたよね」
「はい。以前、使っていた部屋については調べてありますが、果たしてそこにいるかどうか…―― 本人の部屋は二階の一番端で、今は使われていない裏門のそばですね。ただし、この裏門にも結界が張ってあります。 普通の人間では、そこに門がある事を見逃してしまうでしょう。」
「もし、そこにトシがいれば、外へ出ることは可能かな」
「見ることが出来れば。」
「そりゃそうだ」
ふう、と息をつく。
「状況は判った。ひとまず車に戻ろうよ。――父親の行動予定は抑えてる?」
「はい」
「OK、今日中にトシを取り戻すわ。この胸くそ悪い空間に長くいたら、あいつだってどうにかなっちゃう。」
はあ、と息を吐き出し、美古都は自分の顔を軽くはたいた。
「気合いいれなきゃね」

TO BE CONTINUED…


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