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LUNATIC DOLL・35

Paradise


古い入り組んだ廊下の突き当たりの前に立って、美古都はそれを見つめていた。
この向こうに結界がある。
自分が入っていけないようなものではないが、降りる気はさらさらなかった。
この向こうに哲理が居る。おそらくは――ひどく落ち込んで。相も変わらず、闇の気をふりまいて。
――さむ…。
心の中でつぶやいて、自分の肩をさする。寒いのはその気の所為だ。哲理の落ち込みは、 辺りの空気の中に存在する取るに足りない連中まで活性化させる。結界で封じられているとは言っても、 それはゆっくり伝染してくるものだ。だから、この一角には、誰も近寄らない。用のある人間を除いては。
ここまで来るのに案内はいらなかった。前にも一度、哲理はここに入っているし、第一、寒気のする方向に向かっていけばいいのだから。 迷うはずがない。
そして、目当ての人物は当然、この中に居るのだろう。この寒気をものともせずに。下手をすれば哲理を抱きしめてやってるかもしれない。 そう思うと、ちょっとしゃくだった。自分だってそれで哲理が元気になるならそうしている。だけど、それじゃ駄目だ。 なぜならこの問題は――
と。
壁がゆっくり開いて、お目当ての人物が姿をあらわした。想像通り、なんでもない顔をして。
ふう、と息を吐き出すと、美古都はその前に立ちふさがった。
「――どうなのよ、哲理は」
「さあな」
涼しい顔でさらりと答えると、修羅はそのまま歩き出した。
「さあって――見てきたんじゃないの」
「見舞える状態ではなかったようだ」
「哲理、落ちこんでんの――?」
「当然だろう」
「ったく、馬鹿よ、あいつ」
小走りで修羅の後を追いながら、美古都は顔をしかめた。
「解いたら絶対落ち込むって判ってやるんだから…もうちょっと開き直ればいいのに」
殆ど独り言に近いその言葉に、振り返らずに修羅が応じる。
「出来ないから哲理なのだろう」
「う――うわっ…なんちゅう恥ずかしい事言うかね、このお坊ちゃんは」
思わず口に出る。そこではじめて修羅が振り返り、口元をほころばせる。
「心配しているのか」
「当たり前じゃない。あんたも馬鹿?」
「馬鹿とは言われたくないな」
静かにそう答えて、また歩き出す。
あんただって心配じゃないの?――とそう言いたいのを、美古都はぐっとこらえた。 この馬鹿男は心配などしていないのかもしれない。自分とて同じだ。 もちろん心配でないわけがない。だが、哲理が今落ち込んでいるからと言って、ずっとそのままでいるわけもない。 第一、これはずっと続く哲理自身の試練だ。哲理自身が解決していかなければなんの意味もない。自分たちが心配しても仕方がないのだ。そして、この男はおそらく、それをよく判っている。 下手をすれば自分たちよりずっと。――だから何でも判っているような、涼しい顔をしているのだ。小憎たらしい。
だが、今はまず、やらなければならない事がある。悪態をつくのも、哲理を心配するのも、その後だ。
「ね、修羅…ちょっと、話があるのよ」
どうかすると置いて行かれそうな速度で歩く修羅を追いかけながら、美古都は声をかけた。
「頼みたい事もあるし、少し話聞いてくんない?」
「…」
「ねっってば!――修羅!」
「夜だぞ。静かに話せ」
確かに、時刻はもう23:00をまわっている。小さくため息をついて小声で話しかける。
「悪い。だけど、話くらい聞いてよ」
「いいだろう」
そして振り返る。
「酒でもどうだ?」


「――と、まあ、こういう夢を見たわけよ」
言って、美古都はグラスをあけた。
修羅専用のはなれにある、洋間のリビングである。 給仕をする者などいないので、美古都はボトルから勝手についで、おかわりのロックを作り、それをまた手に取った。 からからと氷が鳴く。
「心当たりは?」
「無いこともない」
同じく、ロックのグラスを玩びながら、修羅が答える。
「――ねえ、修羅は…っていうか、院家は、この件にかかわってるの?」
「…」
修羅は黙ったまま、グラスを傾ける。
「そっちの仕事の邪魔になるのかもしれないけど――こっちとしては、黙ってらんないのよね」
「それで」
「うん。私のカードは見せる。だから、そっちも情報を提供して欲しい」
「それがこちらにとって何の役に立つ?」
「院家の役には立たないでしょうね。でも…」
にやりと笑って。
「あんたの気持ちは収まるはずよ――哲理が可愛いでしょ」
「可愛い、ねえ…」
美古都は知っている。修羅にとって哲理は唯一滅ぼせない存在だ。つまり、おそらくただひとつのウィークポイントなのだ。
「院家の思惑がどうであれ、この件はあたしたちが決着付けないといけないの。あんたたちなら、トモと子供を殺して、はい、おしまい。 『第0課』だって多分飼い殺しでしょ。だけどそれじゃあ、あたしは嫌。哲理だって絶対満足しない。下手すりゃ直談判だの、また 後先考えずに「向こう」へ飛び込んで自分と引き替えだって言いかねないわ。ただでさえ、今ああいう状態なんだから」
「そうだろうな」
修羅がほのかに苦笑する。その顔を見て、あ、やっぱりこいつは哲理に惚れてるな、と美古都は思う。――果たしてそれが男女のそれなのかは別として。
「だからあたし達は、なんとしてでも円満解決を目指したいわけ。だから、協力して欲しいの。そっちが持ってる情報、それから人手」
「人手は考えてある」
「へえ、つまり、協力してくれるってこと?」
「取り敢えずは。――なにを知りたい」
「そうだね。まず、トシちゃんがどこに居るのかってこと。トモがさらわれて、あの部屋はボロボロ。 おまけに10分前までいた筈のトシちゃんは、あの時部屋に居なかった。そしてあんたは、なんで早く来なかったのかと聞いたとき、 もう一方に気を取られてたって言った」
「よく覚えていたな」
「茶化さないで。――つまり、あの10分間の間にトシちゃんは外に出た。そして――何かあったんでしょ。どうなの?」
「…」
「どうなのよ。トシちゃんも――あっちに持ってかれたの?!」
「彼は今、親の庇護の元にある」
「親?――お父さん?あの…」
美古都の中に、一瞬、先ほどの夢が甦った。――"むらおさ"の顔が浮かび、慌ててそれをうち消す。 あの男がトシの父であるわけではない。何かに憑かれたような目。憔悴しきった頬。娘の――夢の中では自分の――手を掴まれた時の、あの異様な感触。
「近くまで来ていると言って呼びだし、そのまま家へ連れ帰ったようだ」
「そんな!――だって、トシがあの状態トモを置いて、おとなしく行くわけない!」
「どうだろうな。父親は車で来ていた。中に入ってからなにがあったのかはともかく、その車は間違いなく彼の実家へ着いている」
「実家まで知ってるわけね。OK。やっぱり元々、院家がかかわってるわけだ」
「――ある人から頼まれたのでな。」
「ふーん」
いいけど、とつぶやいて、美古都はまたグラスをあおった。
「ちなみに、実家に着いた時、かれは前後不覚だったようだ。人に担がれて車から出たそうだからな」
「気を失ってたって事?」
「どうだろうな」
「――トシの携帯に、かけてみたのよ」
「ほう」
まんざら馬鹿でもないのだな、とでも言いたげな修羅の視線を無視して、美古都は続けた。
「そしたらね、圏外ですっていうわけよ。だから、少なくとも市中にはいないだろうって思ったの」
ため息をつく。
「もしかすると、連中にやっぱり連れ去られたんじゃないかって。――でも、あの子を向こうに持ってく意味はないもんね」
友美が連れ去られた目的は、今では判っている。彼女が母胎だからだ。
その身に、魔の途を通された子供を持ち、また魔を宿す可能性を持った母体――それは、「連中」にとって格好の的であると言える。 だが、友美自身の心が閉ざされてしまった今、利幸に利用価値は殆どない。 確かに、利幸と友美の結びつきは、また新たな命を生み出すかもしれない。その命に途が通じる事もあるだろう。――その血に流れる呪によって。 だが、もっと手っ取り早いのは、友美に直接魔を産ませることだ。そして、おそらくそれは高い確率で可能なのだ。
「この間、トモが倒れた時にさ、トシちゃん見てて、あ、大丈夫かな、って思ったわけよ。 ホントに優柔不断だし、情けないし、父親怖いしぃだけど、トモの事はちゃんと考えてるんだって。 だから、そりゃいきなり子供が出来たって言われたら動揺するかもしれないけどさ、きっとなんとか出来るだろうって思うわけ。 でも、トシってば知ってるのかな。――トモに子供が出来たってこと… それがどういう意味をもってるかは知らないだろうけど…だけど、トシの子だもん…ちゃんとしなくちゃ。」
最後の方は、殆ど独白だった。頬杖をついて、グラスを見つめる。
「それで?」
いきなり声がかかって、はっとしたように顔を上げる。
「あ、うん。だからさ、――トシが、というか、トシのお父さんがどういう了見か判らないけど、 トシにはこの際、協力してもらおうと思ってる。ていうか、本人の問題だもん。あの子が出て行かなくちゃ駄目だと思うし」
「では、どうする」
「取り戻しに行く」
きっぱりと、美古都は言った。
「取り戻すってのもなんだか変だから、迎えに行くってことだけど。トモをこっちの呼び戻すには トシがいなくちゃ駄目だもん。トモの願いは『親子揃って仲良く暮らしました』なんだから――トモのっていうか、 あの娘のだけど、それにトモが共鳴してなきゃ、不安定に取り込まれたりしないもん――もし、トシがそれを拒否したら…」
「すべて台無しか」
「そーよ。なにも魔を祓うだけが解決の道じゃないはずよ、院家の総領どの。どうせ祓ったって、またぞろ人間は同じ事繰り返すんだから。 ――哲理がいい例でしょ。失敗して落ち込むもんなのよ。人間は。そんな時につけ込むのは奴らの得意な手じゃないの」
「私は祓うより斬るがな」
平然と、その顔に何の感慨もなく、修羅が言った。
「またぁ――斬るより有効な手だてだって言ってるのよ。第一、この場合に斬るって誰をよ。トモを?子供を? そんな事したら、哲理に一生恨まれるわよ。知らないところでならともかく、自分のそばでやられてみ、あいつ、 ホントにキレるわよ。」
「判っているさ。だから、人手を貸すと言っているだろう。」
「よろしい」
にっこりと、美古都は笑う。
「じゃ、商談成立ね。修羅はトモちゃんのご先祖様を調べて――ってどうせもう知ってるのよね。後で詳しく教えて。 それと、トシちゃんを取り戻しに行くから、ついてきてちょーだい。あんたの配下だけじゃ、トシは信用しないだろうし」
「残念ながら」
修羅の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
「私はここを離れるわけにはいかない――お前も良く知っている者をつけよう。――夜地」
「や、夜地ぃ?ちょっと待ってよ、あいつは――」
美古都が言いかけた時、すっと長身の影があらわれた。
「…おそばに…」
「夜地、あんた…――ちょっと、修羅、こいつはね、乙女の首に手をかけたのよ!…だいいちこいつは哲理の守り役でしょ」
「今の哲理に守り役が必要か?」
「そりゃ、そうだけど…――」
不満そうな美古都の顔を見て、修羅は面白そうに続ける。
「ならば、乙女の首に手をかけた代償として、思う存分こき使うが良いだろう。…夜地、美古都を助けてその男を奪回しろ。」
「――御意」
そして、美古都に向き直り、頭を下げる。
「主命とは言え、美古都様へ無礼を働いたのは私の落ち度です。――どうぞお申し付けください」
「いいな、美古都」
修羅も念を押すように言う。
あきらめたように息を吐き出してから、美古都はグラスに残った酒を飲み干した。
「いいわ、使わせてもらう。――夜地、明日朝いちで出発するから、車の用意をしておいて。 トシを取り戻しに行くから。用意するものなんかは全部自分で考えてよね。あ、それから、 面倒だから、トモの家系についても詳しく修羅から聞いておいて。車の中で聞く。それと トシの家の事情も調べてよ。トシの部屋もね。出来れば父親には会わずに帰りたいから」
あの"むらおさ"と、トシの父親は別だと判っていても、どうしても連想してしまうのだ。 それに、出来れば早急に連れ戻したい。父親は反対するだろうことは察しがつく。
「承知致しております。――用意は既に」
「え?――出来てるの?」
「はい」
美古都は修羅に向き直ってにらんだ。当の修羅は、相変わらずその端正な顔を崩さない。
「はかったわね。私が話す前にその気だったんだ」
「さあな」
「――いいわよ、もう」
「他にご命令は?」
夜地の柔らかな声が、美古都に向けられる。ま、いいか。こき使ってやる。
「そうね、じゃ、取り敢えず。おかわり作って、夜地」
「御意」
明日がまだ遠いかのように、ゆっくりと夜は更けていった。

TO BE CONTINUED…


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