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LUNATIC DOLL・30

FREE WAY


夢を見ていた。
――天が闇に落ち、人々が狂乱し、地獄の坩堝からあらゆるものが這い出てきたあの頃の夢。 日々を何気なく過ごしているのに、いつもと変わらぬ筈のその場所からおぞましい化け物が現出し、 慈しんだ生き物が突如凶暴な化獣となり、先ほどまで談笑していた相手はいきなり狂いだしては人を襲い、 喰らい、また発狂して死んでゆく。
もう10年近く前になるのだ…。
悪夢。暗黒。黙示録の予言の刻。
だから人々は時を止めた――すべてが流れゆくままに在るように、だが、その先にある滅亡を受け入れる事なく。
その狂気だけを受け止め、それに対応する。
なんという適応力。なんという性。
そして自分たちは生き延びたのだ。…数々の傷跡を背負ったまま。――失ったもの、得たもの、 堕ちた友の帰還。逆らわなかった。誰も――もうこれ以上失う事を選ばなかった。
そうして彼女はそばにいる。今も、これからも、自分たちが命をまっとうした後も。
――刻に赦されるまで…


「――さま…」
柔らかな声が耳に入ってくる。知っている声だ。
「――さな、美古都さま…」
頭が痛い。がんがんする。
「お気づきになられましたか…」
うっすらと目をあけると、知った顔がそこにあった。
「…夜地…」
「はい」
声の主がうなずく。
「――…どうして私…」
いきなり記憶が甦ってきて、美古都の目が見開かれた。飛び起きて辺りを見回す。見覚えのない和室――
「美古都さま…」
「あんたっ――夜地!!」
そばにいた夜地の胸ぐらをつかむと、美古都は叫んだ。
「どーゆーつもりよっ!女の子の…それもあたしの首に手をかけるなんてっ」
「申し訳ございません――」
美古都に掴まれたまま、夜地はうなだれ、目を伏せる。
「…あの場でお部屋の方へ入られるのは危険でした…哲理さまは変化しておられましたし、恵さまは負傷しておられ、その上あそこには…」
言って、言葉がとまる。
「あそこには何なの!なんだって言うのよ!」
「――敦彦さまがおいででした…」
「――っ」
息を詰まらせて、美古都は一瞬、硬直する。では――では、奴はやはりいたのだ。
ゆっくりと力が抜けてゆく。
「どうかお許し下さい。恵さまは大変危ない状態で…一刻も早く安全な場所へお連れするには、仕方が無かったのです。」
「――敦彦が…そう…」
夜地から手を離して、美古都は息をつき、ぺたんと座り込んだ。では、これまでの予感は、やはりそういう事だったのだ。
「トモは…?」
「どうやらあちらの手の者に連れ去られた模様です。何処へかは存じませんが」
「恵ちゃんは…哲理は――どうなの」
「恵さまは深手を負われました。しかし院家の医師の見立てでは、幸い心臓は無事であるとこのことで…すぐそばの部屋に眠っておいでです。 哲理さまは――その傍から離れようとはされませんので、そのままにされておられますが…」
「――もう、『戻った』の?」
「はい…しかし…まだ」
「戻ったばかりじゃ…良くないよね。あいつの『気』は」
「そうなのです…」
辛そうに夜地はうなずいた。
「哲理さまも判っておられない筈は無いのですが…なにぶんにも我を失っておられるようで…――若が美古都さまをお呼びしろと…」
「うん。…行く」
のろのろとうなずき、美古都はゆっくりと立ち上がる。あの頃、哲理は本当の闇の魔物だった。今は封じられているとは言え、その性は確かに彼女の裡にある。 そして破られた封は、簡単にはもとには戻らない。たとえ意識はもう『人』であったとしても、その身に染みついた穢れは、 そうそうたやすく落ちはしないのだ。
だからこそ、哲理の持つ「力」は――ごく一部の簡単な感応力を除いては――滅多に外へ出ることはない。力の発露はそのまま、彼女自身の意識をも変えてしまう。 闇の器。魔物。殺戮を愛し、人々の恐怖と憎悪、哀哭を糧とするもの。それは今の哲理自身と、そして世に在るサイキック、また修羅の一族達のようなものが、 最も恐れ、そして敵とする存在そのものなのだ。
敦彦の一族――そして、そのまわりに群がるものたち。かつて哲理を誘い、その裡にあるものを暴き、闇へと堕としたものたち。 それは間違いなく、美古都にとっても敵なのだった。
「――行こう、夜地。あいつを隔離しなくちゃ。…でないとみんなが迷惑する」
ため息をついて美古都は立ち上がり、そうつぶやいた。


「――哲理、いい加減に離れろ」
円陣の中に消えた彼らが着いた先は、茅の守る院家の別邸であった。恵は既に待機していた医師の待つ部屋へ運ばれ、布団に寝かされて 治療を受けている。放たれた気は恵の細胞を焼き、焦がし、その傷口には無数の闇蟲が蠢いていた。 それらを浄火で焼き払い、そして傷の手当てをする。その間中、哲理は恵の腕を放そうとはしなかった。
「――…」
顔をぐしゃぐしゃにして、それでも足りないかのようにぼろぼろと泣きながら、哲理はいやいやをするように首を横に振る。 その目から流れるのは血の涙。その色は闇の彩。敦彦たちと同じ、闇の生きもののしるし。
「そのままでは医師が手当することも出来ないのが判らないか」
修羅の叱責に、初めて気がついたように哲理は恵を見た。焼かれた傷口は浄められているものの、哲理の躯からは相変わらず瘴気が放たれている。
この部屋にいる一同――修羅、その秘書であり護衛でもある大地、医師、そして恵。そのすべてに対して、その『気』は心地よいものではないのだ。
「でも…」
消え入るようにつぶやいて、それでも恵のそばから離れない。
「今の自分の状態が判っているのか」
「――だって…恵がこうなったのは――」
「あんたのせいよね。判ってるなら、さっさと離れてよ。」
声がして、気配がして、振り向くと、そこに美古都が立っていた。後ろに夜地が控えている。
「美古都――」
そのまま美古都は哲理の方へ詰め寄ると、恵の腕を掴んだ哲理の手を外した。そしてゆっくり哲理を見据える。
「馬鹿じゃないの。あんた、もっと自覚しなさいよね。みんな、あんたの瘴気で具合悪くなっちゃうんだよ。 恵ちゃんなんか、治るどころかぜんぜん回復出来ないじゃないの。」
「だって…」
ぱしん。
その頬めがけて平手が飛ぶ。
「――痛い…」
「恵ちゃんはもっと痛いでしょ。――さっさと出て行って!」
うなだれる哲理に夜地が近づき、手を取った。一瞬、その貌に苦痛の色が浮かんだが、そのまま立たせて外へ誘う。
「こちらへ…恵さまは大丈夫です」
「でも…」
「夜地!」
「はい…美古都さま」
ふたりを見ないまま、美古都は言った。
「そいつを離れでも何でも――ここには座敷牢かなんかあったでしょ。そこに入れて封印して!みんな――誰もそこへ近づかないようにね。」
そっと修羅の方を見やる。修羅もまた頷いた。
「では…」
短く頭を下げると、まだ嫌そうな哲理を抱え、夜地は部屋を出る。
ぱたんと障子の閉まる音がして、その気配が遠ざかってゆく――と、美古都はふらふらと座り込んだ。
「――きっつぅ…」
そっと口の中でつぶやく。
「ご苦労だったな」
修羅が声をかける。
「――あんたに言われる筋合いじゃないわよ」
言葉に毒を込めて、美古都が言った。
「ああなった哲理をそのままにしてたら、そっちの誰かに殺されかねないもの。尤も殺されるのはそっちだろうけど。 それより、判ってたんなら、どうしてもっと早く来なかったのよ。――敦彦が居れば、哲理がああなるのは予想がつくでしょ」
「もう一方の方に気を取られていてね――それについては謝罪しよう。こうも早くなるとは予想がつかなかった。」
そう言って恵を見やる。
「彼女が傷ついてなければ、あれも簡単に封を破るような事はしなかっただろうが…」
「――どうだか。だってあそこには敦彦がいたのよ」
「確かに」
哲理が自ら施した封印が解ける条件はふたつ。その身――或いはそれよりも大切なもの――に多大な危機が迫ったとき、 そして奴ら…哲理の裡にある闇を喚び起こすものと必要以上に接触するとき。
しかし、それでも変わらないこともある。要は本人のコントロールが利かなくなることが問題なのだ。
「――悪…い…な」
うめくような声が聞こえて、一同の目が恵に注がれた。
「恵ちゃん!」
「気がついたのか」
寝かされていた恵が、弱々しく微笑んだ。
「ざまあ…無い…ね――だい…ぶ…鈍っちまった…みたい…だな」
美古都の方を見て、恵は軽くにらむ。
「あん…まり…奴を、責めるな…よ」
「だって――あのままじゃ…」
「奴…をいじめ…る…のは…私の…専売特許…なんだから」
「――もう!」
美古都が涙声で微笑む。
「ご無理をされては――」
医師がそっとささやいた。
「まずはお眠りになられた方がよろしいかと」
修羅が頷く。
「そうだな。――恵、奴のことは心配されずにゆっくり休むといい。 明日は休みだろう。あちらの方には私から連絡しておく。」
頷いて恵は目をつぶった。息をつく。
「美古都も――しばらくして落ち着いたら帰るといい」
「ここに泊まっちゃ駄目なの?」
「かまわないが――家の方には…」
「ちゃんと連絡するから」
「判った。後で隣の部屋に用意をさせよう。」
「――修、羅…」
「なにか?恵」
「その、口調…10年…ぶり、だな――ずっ、と…他人…行儀だった…のに」
修羅は微笑む。
「今は院家でも『第0課』の調査員でもないだろう。ただの友人だ」
「恩…に、きる…」
「借りはそのうち返していただくつもりだ。私は哲理を見てくる。…美古都はしばらくここに居るといい」
「…ありがと。」
ちょっと仏頂面で美古都は言い、修羅に背を向ける。何故か涙がこぼれた。それを見せたくはなかったのだ。
修羅は医師と大地に合図をすると、恵に向かって頷き、部屋から出ていった。
後に残ったのは、恵と美古都だけ。
「――美古都…」
「あんまり喋らないで。眠るようにって言われたじゃない」
「いいから…聞け…」
恵は手を挙げると、美古都の手を握った。
「どうしたのよ」
「――17…条を適用する…」
「え?!」
「こっ…ちが…早いな…」
苦笑すると、その手に力を込める。――と、道が出来たように、そこから言葉が流れ込んできた。
(――聞こえるか)
(う、うん…いちおう…――でも恵ちゃん、17条って…)
(知ってるだろう、PSYでないお前が力を使って問題に当たることは禁止されてる。だが、特別な場合には、 特級PSYにはそれを許可することが出来る。)
(だって恵ちゃん、まだ一級じゃない。特級って評議会直轄だけでしょ)
(直轄なんだよ。本当は――ま、それはおいとけ。ともかく、それを適用する。私はこの通り動けない。だが、役所の連中じゃ 哲理は勿論、トモもどう扱われるか判らない――だから、お前がケリをつけてくれ。修羅の力を借りてもいい。なんとしてでもトモを無事に ――トモと子供を無事に取り戻して「浄化」するんだ。)
(子供?!)
(そうだ――トモは子供を宿している。魔物じゃない、利幸の子だが…でも、道が通じてしまってる。――下手すれば完全に向こうに持ってかれる。 それは何としてでも止めたい。それに――)
(哲理…何するか判らないもんね)
(その通り)
恵は笑った。
(今回の事が終わったら、お前はPSYの検定を受けることになるが――仕方がないだろう。私だってクビがかかってる)
(判った…――言われなくてもやるつもりだったもん。)
(だな。いいか、哲理は押さえておけよ。そして、手に余る事はするな。…法(のり)を守ってやれば、大抵の事はお目こぼしがくる。 それに、利幸の方も問題があるんだ――後で全部見せる、まだ『読める』か?)
(大丈夫だよ、恵ちゃんが『見せて』くれるなら。そこまで鈍っちゃいないわ)
(OK)
ほう、と息を吐き出して、恵は目をつぶった。
(――哲理は…しばらくほっておけ。どうせ後から使わなくちゃならないからな)
(…大丈夫だよ。)
美古都が頷いた。
(――何度だってこんなこと、乗り越えて来たんだもの。恵ちゃんだって、私だってそうだよ。 だから早く良くなって。私、ちゃんとやる。恵ちゃんの分も、ちゃんとやるから…だから安心して眠って――)
そっと、その手から優しい光が生まれる。それがゆっくりと恵の躯へ伝わってゆく。
癒しの光。
暖かな浄化された光は、優しい道を形作って、恵の中に流れ込んでいく。
(さんきゅ…)
恵は静かにそう伝えると、すぐに眠りに入った。
――まかしといて。
美古都は心の奥で、もう一度つぶやく。
これは私の仕事。そして売られた喧嘩。
このままにはしておかない。トモは取り返す。奴らの好きにはさせない。 無事に取り戻して、そしてみんなで幸せになるの。
「やだ、そう言えば――今頃、みんな呑んでるだろうなあ。行けなくなっちゃったって――電話、しなくちゃ…」
涙目のまま苦笑しながら、美古都はひとりでつぶやくと、ポケットを探して携帯電話を取り出した。

TO BE CONTINUED…


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