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LUNATIC DOLL・28

Time Again


「――な――っ」
瞬間、感覚は解放された。どおっという音をたてて哲理の中に入り込んでくる音、視界、臭い、そしてもうひとつの感覚。全身の肌が泡立ち――そしてとてつもなく心地よい不快感。
開け放った扉の向こうに、友美が正座している。そのまわりに霧は群がり――いや、もう霧には視えない。 それは生命の無い、だが恐ろしく凝縮された怨嗟と哀しみの声である『ものたち』、そしてそれを喰らい、生み出すものたち――
「トモっ」
叫んで飛び込もうとする哲理の腕を、恵が強く掴む。
「なにを――」
「見ろ!」
その指の指し示すのは友美。そのまわりに群がるもの…それは――
ゆっくりと、だが恐ろしいほどの勢いで固まりつつあり…
酷薄な美しい微笑み。
生命を喰らう極上の狂気の姿。
「――あ…つ――ひこ…」
声が掠れる。
「――礼を言うよ」
冷たい声が嗤いを含んで響き渡る。
「私をここに入れてくれてね。…おかげでこの母胎を連れ帰る事が出来そうだ…」
声の主の姿が次第にはっきりと映し出される。実体。――玖亥敦彦…人の身を持ち、人の顔を身体をし、…しかしてそれは 魔王に魔の魂を吹き込まれ、創られた、土くれの傀儡。
「きさ…ま――」
「何?ちょっとっ…」
美古都が続いて飛び込んで来るのを恵は突き飛ばし、そのまま扉を閉め、鍵をかける。がちゃん、という重い音がして、錠はおりた。
「なに?なんなのよ!あいつが…"あいつ"がいるの?開けてよ!開けてよ恵ちゃん――開けてよ哲理――!!」
その叫び声がなかまで響いてくる。
はっとして恵は哲理を見た。その顔が蒼白になっている。瞳の彩は熔け、輪郭が歪む。
「しっかりしろっ」
掴んだ腕を引っ張る。
「――大丈夫だ…私は冷静だよ」
振り返って押し殺した声で言う。
「トモを救わにゃならんからな」
「――哲理――ここは…」
「――…」
黙ったままその腕をふりほどき、哲理は部屋の中に入ってゆく。ゆっくりと、ゆっくりと歩を進める。
「トモ…判るか?私だよ」
「――?」
友美は宙を向いた目を哲理に向ける。だが、そこにはもうなにも写し出しはしない。
「――こっちへおいで。そいつの言うことを聞いちゃいけない。そいつは――駄目だ」
「――子供を助けよう」
敦彦がささやいた。
「はるかな昔、お前が望んだ約定を今こそ――果たそう。その経はこの世に在るものが繋いだ。」
「私の子を…」
「そうだ。女よ。その子は我らのもの。お前と共に在って、我らの饗宴に迎えられよう――」
「私と…ともに?」
友美の目が、敦彦の方へと向いてゆく――いけない!
哲理は飛びかかった――が、そこにはなにかの障壁のようなものが存在し、彼女を床にたたきつける。
「無駄だ――哲理。これは既に果たされるべく、この女が蒔いた種」
「馬鹿な――」
哲理がうめく。
「我らはそれを受け取る。この女の望みとひきかえに」
「望みとひきかえに――」
友美が繰り返す。
敦彦の手が、友美の肩にかかり、その腕を取る。もはや友美の瞳は敦彦だけを捕らえ、その身体が立ち上がる。
「頼む――トモっ」
恵に助け起こされながら、哲理は叫んだ。
「そいつの言うことを聞くな!――そいつは…そいつに関われば、お前の子もお前も…利幸もすべて滅びるんだぞ」
「とし――ゆき…」
その言葉が、彼女に何かをもたらしたのか、一瞬、友美の目に光が戻った――が、次の瞬間――敦彦は友美の身体を引き寄せ、その首筋に手を触れた。 がっくりと音が聞こえるように友美の首が下がり――彼女はその正気を失った。深い暗闇の向こうに。
「やめろ――敦彦」
「無駄だ。我らをこの結界に引き入れたのは、お前だぞ、哲理」
愉しそうに敦彦が言う。
「お前は忘れているよ。その身体のみなもとが何なのか――その力がどうやってその身にあるのか」
「忘れるわけねえだろっ!!」
哲理が叫ぶ。そのまま、制する恵の腕をふりきり、敦彦に飛びかかろうとした。
が、やはり障壁に跳ね返される。そして彼はそのまま、その身体を宙に浮かせる。友美を抱えて。
「無駄だと言っただろう――おい」
ちら、と横をみて顎を動かす。そこにはいつのまにか現れた、黒い影。
「母胎を安全な場所に移せ。今ならばまだ外とは繋がっている――哲理のおかげでね」
影はうなずいたように見え、敦彦から気を失ったままの友美を受け取り、そしてベランダの方へ移動してゆく。
「返せって――」
またも飛びかかろうとした哲理の肩を恵が掴み、小声でささやいた。
「落ち着け!――いいか、そこの障壁を破る。――力を貸せ」
「でも――」
ここには闇が満ちている。そして敦彦が居る。そこで哲理がもし、意識的に力を使えば――
「私に任せろ。いいか、呼吸を合わせて――そうだ…」
うなずく恵。
「お前はもう堕ちやしない、私がさせない――OK。いいぞ」
哲理に触れた恵の手が熱い。――そこからパワーが沸き出す。恵はもう片方の手を上げ、そして敦彦の方めがけて『それ』を放った。
「よしっ」
ぱりん、という音がしてガラスが破れる――ように、その障壁は崩れた。
「行くぞっ」
哲理よりも早く、恵が動いた。
しかしそれよりももっと早く、敦彦は宙を移動し、そのままベランダに面したガラス戸に触れ、そこに次元の『穴』をあける。破裂音が響き、黒い影がそこから飛び出す。 恵はそのままそれを追いかけ、力任せにガラスを叩き破った。ガシャンという音とともに恵の身体がベランダへ転がる。黒い影のふちを掴んで。
「――!」
飛び去ろうとする影は、その一部を恵に掴まれ、動けない。が、その恵の後ろから、敦彦の黒い気が放たれる。 それは恵の背中から胸を貫き、その一瞬で、影は空中に飛び上がった。
ここは11階。
人ならぬ者の跋扈する夜の空。
血が噴き出し、思わずうめいて恵はうずくまる。空には闇。影はゆっくりと上昇し、消えてゆく。
「待――て…」
恵は叫んだ――叫ぼうとした。が。痛みにその声は出ない。どくどくと音を立てて血が流れ出、抑えた手が濡れる。
(――大丈夫だ…心臓は――)
無事だ、という意識の声が薄れ、その視界がくもってゆく…
(さと――り…)
身体をねじって部屋の方を見る――そこに、哲理は立っていた。忿怒の形相で。
(だめ――だ…やつ――に――)
痛みはさらに高まってゆく。全身が熱い。あの一瞬の衝撃で、身体のすべてが燃える。
そして、――意識は闇につつまれた。

「恵っ」
「好都合だな。」
叫んでベランダに飛び出そうとした哲理の身体を掴んで、敦彦が嗤った。
「離せっ」
その腕をふりほどこうとする。その身体を離そうとする。――しかし…その手に力は入らない。
「忘れたか。お前は我らに逆らえぬ」
哲理の全身が熱い。内部から蠢くその血が、歓喜の声を上げる。
「やめろ――敦彦」
「お前が私の名前を呼ぶのは、耳に心地良い。それが…」
言いながら、敦彦は哲理を抱きしめる。
「懇願する声ならば尚更――」
「――やっ…」
悲鳴。身体が言うことを聞かない。とてつもない快感と、吐き気。哲理は弱々しく、それでも必死に敦彦を突き飛ばした。 反動で自分自身も倒れ、リビングのソファーが揺れる。吐き気、吐き気。全身が震える。
「無駄だ。」
酷薄な微笑みをその顔に浮かべたまま、敦彦は哲理の肩を掴む。その手に、その触れた場所に、熱と凍が泡だつ。
「彼女はお前のくびき――それが無くなればもう、お前を縛るものはないだろう」
「あ――う…」
その手が身体を掴む。意識が混濁する。それでも抵抗は試みる――まだ、ここでは――駄目だ――肘を上げ、精一杯の力をこめて敦彦の腹にくらわせる。 一瞬の隙。そのまま、這ってソファーの向こう側にまわる。せめて――せめて体勢を整えられれば…
「何故だ?」
敦彦が近づいてくる。まだ――まだ戻っていない。哲理は後ずさり、腹に力をこめる。気を集中させ、手に集める。
「何故、そこまであらがう」
敦彦の姿がゆがんで見える。手には気弾。エネルギーが蓄積されてゆく。まだ――もう少し…
「お前は既に『法』の外にいる。その身が望むままに何故、為さない」
「望んでなんか――」
言いかけた哲理の首を、敦彦が掴む。そのまま持ち上げられ、息がむせる。喉にその手が食い込んでゆく。
「何故――"起きない"?…眠っているのか?――」
「やめ…」        
「起きろ――目を覚ませ――」
「…喚ぶ…な」
手に集めた気弾に、エネルギーが充填されてゆく。敦彦はまだ気がつかない。もう少しだ――後、数秒…
「おいで――遊ぼう――」
誘惑の声。
次の瞬間――
哲理は目を見開いた。右手をあげて敦彦の顔を掴む。手からほとばしる気。攻撃。爆風。――それはそのまま敦彦の脳天まで突き刺さった。 敦彦はよろめいて哲理を離し、顔を押さえる。
逃れた身体を這って移動させる。もう――もう残っていない。そのままベランダへ。恵の――恵を助けなければ…
しかし敦彦は、顔を押さえた手を外し、憎々しげに哲理を見た。その美貌は崩れ、熔け、ただれている。しかし、脳天まで突き抜けた筈の跡はどこにもない。
「皮を一枚、調達したいところだな」
つぶやいて後頭部に手を当てる。その白い手にべったりと血の痕がつく。
では、彼もまた血肉を備えた生き物なのだ。
「私を怒らせるな」
低く言いながら、哲理の脚を蹴る。うめいて哲理が身を縮める。そのまま、その身体を掴み、そして蹴り上げる。
「言ったはずだ――お前は我らに逆らえぬ」
「――ううっ…」
うずくまったまま、哲理は声が出ない。――あの一撃は有効だったはずだ…何故――
「ずいぶん、にぶっているようだな。火傷程度とは」
冷たい声で言う。
「それとも――逃げるのを愉しみたいのか?」
効いてない。しかしもう――もう、私には力が残っていない。最初に奴に触れたとき――あのときにもう…
でも。駄目だ。
――なにが?
哲理の裡から、そんな声が聞こえる。
今はそんな事を言ってるときじゃないだろう。
――ここで奴と対するには…
このままでは、恵はどうなる?
だけど――今もし、そうして、元に戻れなかったら?
それはそれで仕方がない――私がそれだけの者だったということだ――
それとも――
それとも私は、そんな一撃の喚びだしで、戻れなくなってしまうほどの愚か者か?
――
「目を醒ませ、哲理――遊び足りないぞ」
それは誘惑の喚び声。
そして戦闘開始の合図。
――恵…
お前を死なせない。お前との約束にかけて――そして世界との約束にかけて…
私は、起きる。
…遊んでやるよ、敦彦――
交錯。決意。そして覚醒。
私を止めさせはしない――この、闇の命にかけて。
空気が揺れる。
「哲理?」
血が蠢く。
手を伸ばそうとした敦彦に、黒い光が突き刺さった。
歓喜の声。
「!」
それはその手に突き刺さり、まるで大きな黒曜石のような結晶と化し、敦彦の腕に食い込んでゆく。 その手を喰い、浸食し、ぱりぱりと音をたてて凍らせる。
「――遅いぞ」
にやり、と嗤って。敦彦はその手を引きちぎった。その痕から血が流れ出る。それはもう朱くは無い。黒い、とてつもなく昏い彩。闇色の滴。 そこに無数の蟲がうごめく。
倒れ伏したままの哲理の身体が揺れる。くっくっと言う笑い声が聞こえる。
饗宴のはじまり。
哲理の身体は跳ね上がり、そのまま敦彦の後ろを取った。腕が首にまわされ、傷口に手があてられる。
その口もとには獣の笑み。その瞳は闇の彩。
「お前は私を殺せない――お前は我らに逆らえぬ」
「やってみるか?ここには爺いもいねえぜ」
「あの母胎がどうなってもいいのなら」
「忘れてるよ――敦彦、私はそんなことはどうでもいい。私が欲しいのは、お前の――すべての血と怨嗟の声――それだ」
その手に蟲たちは群がり、その皮膚に食い込んで――のまれてゆく。
「――いいもの喰ってるじゃないか。元気なもんだな、敦彦」
哲理が愉しそうに言う。
「グルメなんでね」
言いつつ、身体をまわして哲理に一撃を食らわせる。それは哲理の頭をかすめ、空を舞った。――衝撃で哲理の顔に幾筋もの線が走る。その間から滲み出るのは、やはり闇色の血。
飛び退いた哲理は居間のテレビに脚をつき、その横の観葉植物を蹴って垂直な壁に立った。そこめがけて敦彦が拳を繰り出す。紙一重でよけ、そのままふわりと宙に浮き、敦彦の顔に右脚をくらわす。 やはり紙一重でそれをよける敦彦――が、そこに、哲理の左脚が待っている。
「くっ」
よろめく敦彦の声に、哲理はとろけるような微笑を浮かべる。
「――お前の顔が嫌いでねえ」
身をかがめて上を向く。目標は哲理の身体。その手から気弾が放たれる。
それを真正面から受ける。天井へはじき飛ばされる身体。肩がごりっという音を立てて割れる。
「いてえな」
「自慢の顔なのでね」
「どうせ皮一枚だろうが」
「――とんでもない」
敦彦もまた飛び上がり、天井に張り付いた哲理の腹に右脚をぶち込む。一発、二発、三発。
顔の一部が崩れたまま、敦彦は嗤う。
「これはれっきとした生身さ――父と母からもらったね…」
さらにボディブロー。哲理の内蔵がつぶれる音が響く。
「あんまり傷をつけるなよ。そんなに生身は残っちゃいねえんだ」
「いっそ全部つぶしてやりたいね」
瞬間、哲理の身体が消え、敦彦の後ろへ回る。そのまま、右脚が背中に命中し、敦彦の身体を天井に叩きつける。
上から落ちてくる身体を、さらに蹴り上げようとした哲理に向かって、敦彦の気弾が走る。
居間のソファーは血だらけ。そのそばのテーブルも。その向こうのテレビも。
魔物達の饗宴。
ベランダの恵は、まだ目をさまさない――

TO BE CONTINUED…


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