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LUNATIC DOLL・23

Second Wind


白い天井が見える。
ちょっとだけ首の位置をずらす。そこには窓に白いカーテン。その隙間から、柔らかな朝の日差しが漏れている。
かすかな消毒薬のにおいと、部屋の外から聞こえてくる、廊下をすべるカラカラという音。
ああ――
病院の中なのだ――とぼんやりと感じながら、友美はまた目をつぶる。
意識が朦朧としている。…自分はいったいどうしたのだったっけ?そうだ…地下街の電話だった…哲理に電話をしようとしていたのだ―― いや、電話は繋がって確かに報告して…――そして…あの男に…
 ――見つけました。
 ――見事に成長したようだ――貴女は良い母胎です――
母胎、とあの男は言った…確かに。間違いなく。
では――私の子は…
「トモ…?」
隣から声が聞こえ、友美は目をあけようとした。まぶしくは無かったが、なんとなく ぼんやりしているせいか、その声はひどく小さく聞こえる。
「トモ…目が覚めたのか?」
利幸だ、と判った――その途端に、目の奥から何かが盛り上がった。
「トモ?…俺が判る?」
「…とし…ゆき…」
つぶやく。
なんて愛しい言葉。
なんて愛しい名前。
「――大丈夫か?どこか…気持ちが悪いとか…そんな事は…」
ひどく優しく、利幸が言った。彼の手が頬にふれ、髪をなでる。――トモはゆっくりと目を開いた。 彼がそこにいた。
「辛いならしゃべらなくていいから…――大丈夫だよ。貧血だったって聞いた」
ぎこちなくうなずく。
では、あの医者も杜守先輩も、子供の事は言わなかったのだろうか。
「ごめんな、今まで気が付いてやれなくて…会社だって忙しかっただろうに――」
いいえ、違うの。言えなかったのは私のほう――
「そんなに具合が悪かったのに…俺、のうのうと待ってるだけで…――ああ、いいよ、まだ動かなくて。喉、渇いてないか? お腹空いてるんじゃないか?」
「きのう…たべそこねちゃった…から…」
言って、笑った。利幸はびっくりしたようにそれを見て――そして、それから嬉しそうにうなずいた。
「今日は俺が食事作ってやるよ――何が食べたい?」
「…だめ…」
「なんで?」
驚いた顔で聞く。
「トシ…料理…下手だもん」
一瞬、目をぱちくりさせて――それから利幸はまた笑った。
「言ったな」
友美も笑う。そして、ゆっくりと右手を動かし、利幸の腕に触れた。
「――トシ、ありがとうね」
「…こっちこそ、ごめんな――」
ゆっくりと、利幸の顔が近づく。優しい瞳が赤い。眠っていないのか、ちょっと無精ひげが目立つ。
…彼はずっと、ここにいてくれたのだ。友美のそばに。一晩中。
ああ…
利幸のにおいだった。優しい、ちょっと甘えたような口唇が、友美のそれに重なる。
甘やかなくちづけ。
幸せな――
友美の瞳に盛り上がっていたものが、すうっと頬をすべり落ちる。
利幸の腕が友美の背中にまわされる。ゆっくりと――ゆっくりと、その体を抱きしめる。 最初は、優しく…そしてやがてきつく。
涙が止まらなくて、友美は口唇を放した。そして微笑む。
利幸が一番、好きだと言ってくれた笑顔。
そうして、もういちど…
そのとき。
「――桑田さん、起きました?――あららっ」
――そして、2人の蜜月は中断されたのだった。


「いえいえ、いいんですけどね」
太ったその看護婦は、笑いながら言った。
「…すみません」
利幸が真っ赤になって頭をさげている。友美も恥ずかしく、下を向いてしまったが、 看護婦は特に嫌みを言うでもなく、にこにこと笑いながら言った。
「まあ、昨夜からずっと付きっきりだったんですからね。目がさめて嬉しいんだもの。 ――桑田さん、優しい彼でうらやましいこと」
「いえ…その…」
「しばらくはふらつくかもしれないけど、すぐ良くなるでしょう。調子が良くなったら 先生に言ってもう帰ってもいいですよ。――利幸さん?先生のお部屋に行ってくださいね。 心配してらしたから。場所はここを出てまっすぐの突き当たりよ」
「あ、はい」
慌てて腰を浮かす。友美を振り返り、安心させるように微笑んで、行って来るから――と声をかける。 友美もうなずいた。
「じゃあ、すみませんが――よろしくお願いします」
「ええ、ええ。その間にお食事をとっていただきますからね」
看護婦が笑う。利幸はもう一度頭をさげ、部屋を出ていった。
友美はと言えば、それを見送り、看護婦の運んでくれた食事に手をつける。 実際、おなかは空いていた。結局昨日は食べていないのである。なんの事はない普通の朝食―― 御飯にみそ汁、焼き魚にサラダ、とそういう内容なのだが、空腹のせいか、とても美味しく感じられる。
「ホントに優しい彼氏ね?ええと――香月さんでしたっけ…?」
「あ、はい…――香月利幸です」
「そうそう、そうよね。彼、この病院にかけつけてからずっと、貴女のそばを離れなかったのよ。 とても愛されてるのね」
「――…」
思わず赤くなる。
「一緒に住んでるの?」
「え、あ、いえ…その――」
ちょっと口ごもった様子をみて、慌てて看護婦は言った。
「ああ、ごめんなさいね。詮索するつもりじゃないのよ。ただ、素敵だなあと思っただけ。じゃあ、食事が終わったら呼んでね。 私は他の病室にも行かなくちゃならないし…また後でね」
そう言うと看護婦はまた微笑み――とても優しく、患者を安心させる、そんな微笑みで――部屋を出ていった。
ふう、と友美はため息をつく。看護婦の優しい態度は嬉しかったが、取り敢えず食事をすませたら、さっさと家に帰ろうと思った。 昨夜、杜守が「子供は大丈夫」だと言っていたのを思い出す。そして小声で「向こうの親には知らせないから安心しろ」とささやいた事も。
そうだった。病院に運ばれたと気が付いたとき――最初に思ったのはそれだったのだ。子供――そして利幸の父親に知られないこと…
今まで気を付けていたのに、こんなところで下手に見つかってはたまらない。
でも、利幸には話そう。――今日、家に帰ってからでもいい。そして「ちゃんと」認めてもらわないと…。
この子のために。
友美はそっと、布団の下の自分のおなかに触れた。
昨夜の、悪夢のような出来事など嘘のように、そこには傷もなく、痕もない。
この子を守らなければ――
不思議に、友美の中に、強い力が湧いてきていた。


「おや、利幸くん、友美さんはもういいのかい?」
部屋をノックして入ってゆくと、昨日の医師が立ったままコーヒーを飲みながらカルテを診ていた。顔をあげてにこりと笑う。
「はい、今しがた目をさまして――今、食事中です」
「それは良かった。…じゃあ、起きあがれるようになったらもう帰っても大丈夫だよ。 心配だったら2,3日中にまた来るといい。あ、僕はこの後診察が詰まってるから、彼女は 挨拶しなくていいから――気にしないでね」
「ありがとうございます――それで…その…」
「――宿泊費はいらないからね。…勿論、カルテも作らないし、 君はこの病院に来ていない。それでいいでしょう?」
片目をつぶって、医師は笑う。
「でもそれでは――」
「大丈夫。」
「あの…せめて先生のお名前を――」
そこではじめて医師は気が付いたように笑った。
「ああ、そうか――僕が誰かわからなくちゃ、甥っこだとは言えないよね。 濱田と言います。これを――」
と、引き出しの中から名詞を出す。
「なにかあったらまた来るといい。ここは避難所みたいなところだから。 病院のスタッフがすべて味方だとは言えないけどね。僕の携帯の番号も載っています。 時間外でも受け付けるから安心してください。」
利幸は名詞を受け取って懐にしまい、頭を下げた。
「いろいろご迷惑を…」
「迷惑なんかじゃありませんよ。僕は杜守さんに貸しを作れて、君には感謝したいくらいなんだから。 それに慣れてますよ。彼女だちなんかもっと酷いんだから」
「じゃあ、その、先生と杜守さんは――?」
その質問が大いにうけたのか、医師は吹き出した。
「ははははは、そりゃいい――彼女に聞かせてあげたいですね」
「違うんですか?」
「とんでもない」
医師は真面目な顔になって言った。
「彼女はガードが固いですからね。誰か意中の人でもいるのか――それに、もし そんなことになったら、僕は哲理くんに殺されかねないしね」
「は。はあ…」
「まったく彼女ときたら――杜守さんがろくでもない男に捕まったら自分のせいだとでもいうような勢いなんだから。 ま、最近はずいぶんおとなしくなってるみたいですけどね。もういい年だし。 でも肝心の杜守さんの方はまったく興味が無いときてる――仕事が面白い季節なんでしょうねえ。 こっちを振り向いてくれる事なんかあり得ないですよ」
「す、すみません」
「ああ、こっちこそ――つい、つまらない事を喋っちゃいましたね。ま、そういうわけです。 僕は信用してもらっても大丈夫だと思いますよ。彼女たちとの友情にかけてね」
「はい」
利幸は素直に言った。ちょっと変わった医師だが、その目はまっすぐで、信じてよさそうだった。
「じゃあ、失礼します。――もう少しして友美の様子が変わらないなら、帰ります」
医師はうなずいた。
「そうしてください――そして彼女を大切にね。君がそばにいるのが一番の薬だと思うよ」


その頃――
病院の電話室では、密やかな声が受話器に向かって放たれていた。
『――ええ、間違いありませんよ。女の子の方が言ったんですから…香月、香月利幸だって…そうです。 あの写真と同じでしたしね。濱田先生の甥っ子だっていうけど、あれは嘘に決まってるわ―― そうそう、女の子の方、どうも妊娠してるみたいで――ええ、そうなんですよ。 一緒に暮らしてるみたいな感じでした…女の子の名前?桑田、桑田友美だって聞きました。なにしろ保険証もカルテもないんだから。 ええ、そうです――お約束でしたから――いえ…はい。勿論です――こんな病院、もう辞めたかったんです。 おかしな患者はたくさん来るし――そうです。ええ…間違いないわ――あれは香月先生の息子さんよ。』

TO BE CONTINUED…


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