TOPへ戻る
LUNATIC DOLL・18

SHADOW OF THE NIGHT


最初は錯覚かと思った。
公衆電話をかけようとして人とぶつかったのだ。
しかし、ほんの先ほどまで、そこには人は居なかった。居ないように見えた―― だからその人とぶつかって触れ、その人に「ごめんなさい」と言われても、錯覚が続いているのかと思った。 実際、一緒にいた友人に聞いても、そこに人は居ないと言う――誰もがその人を見えていないのだ、 と判るまで、しばらく時間がかかった。見えていないのに避けて通っている。 まるで見えない障壁のような…バリアのようなものが、その人のまわりを包んでいるのだ。
どうしてもそのことが気にかかり、電話が終わった後、友人には口実を作って別れ、 その人を見に行った。不安だったからだ。戻ってきて見たのは、その人が男に体をつかまれ、 叫んでいるところだった。それなのに――叫んでいるのに誰も気が付かない。知らんぷりをしているのではない。 見えて、聞こえていないのだ。思わず――声を上げた。



「何をしてるんです!?」
声が響いた。友美は痛みにのたうち回りながら、視界の隅に先ほどの少女の姿を見た。 ぶつかった子だ。自分を不思議そうに見ていた少女。彼女が真っ赤な顔をして怒っている。
「痛がっているじゃありませんか」
「――何者だ…」
男が険しい声をして聞いた。その左手は友美をつかみ、右手はまだ友美の内部にある。 それがまた、ずぶりという音と共に引き抜かれた。血が滴っている。軽く払うと、ぺろりと舐めた。
――どこか生々しく、そして蠱惑的な仕草だった。痛みは続いている。だが先ほどのものとは違う。
「…痛がっているじゃないですか。病院へ――」
言いかけて少女がひっ、と声をあげ、口元に手をやるのが見える。
「な…なにをしているん・・ですか」
「不粋な――何故この結界へ入ることが出来る」
男は怒っていた。友美の肩を乱暴に払いのける。バランスを失って倒れた。――子供が、 と心で叫ぶと、男は薄笑いを浮かべて言った。
「心配はいらない。それは死にはしない。貴女が死んでもね」
何を――なにを言っているの。この男は――
友美は必死で起きあがろうとしたが、体中と下腹部の焼けるような痛みに、身動きすら出来なかった。言葉はのどの奥で焼け、手足は痺れて動かない。
「――どうしてほおっておくんです。早く病院へ連れて行かなきゃ!」
気丈にも少女が叫ぶ。もはや少女の姿も、人々の目には入っていなかった。道行く人、 アフター5の時間帯のその場所に、もうひとつの世界が重なっている。少女はそれを直感的に感じた。
「なるほど――かの一族に属するものというわけか。しかし、界違いだな」
男――敦彦は苦々しげにつぶやく。
「しかし行きがけの駄賃という言葉もある」
そう言うと、先ほどの血に染まった右手を上げる。そこに空気の固まりのようなものが凝縮され、そして黒く染まってゆく。
「目障りなものはいらない」
ゆっくりと、それを振り下ろした――瞬間、少女の体に衝撃が走った――と、思った。
「!」
その衝撃は、少女が咄嗟にあげた両手に阻まれ、体には届いていない。黒い空気の固まりは、 そのままそこで、電気を帯びたようにわだかまっている。敦彦の目に怒りが宿った。
「小癪な――」
言うと顎をあげる。と、その固まりから何かが這い出した。ミミズくらいの小さなもの―― それはぬめぬめと光り、這い回りながら、少女の手に吸い付いていく。叫び声をあげて、少女はそれを振り払った。 それらはべちゃっと言う音を立てて床に落ち、そしてまた這い始める。その隙に、 少女は友美に駆け寄った。敦彦のすぐそばに接近することになったが、ここまで来たらそんな事は 言っていられない。苦しさに顔を歪めたまま動けないでいる友美を抱き起こし、きっ、 と敦彦を睨み付けた。恐れよりも、強いものがその瞳にあった。
敦彦はそれをつまらなそうに見やり、ふっと笑った。
「まあいい――どちらにしろ、まだ猶予はある」
そして顔を上げると、何かに気が付いたらしく、顔をしかめ、つぶやいた。
「うるさい輩も来たようだ――哲理と話したせいだな。少々遊びすぎたか」
そして友美たちに近づく。体を硬くして友美を抱き寄せる少女に一瞥をくれてから、友美の顎を手に取った。
「また会おう――」
そのままうすく微笑むと、――その姿は消えた。消えてしまった。
途端に、どっ、と音が入ってきた。
人の行き交う音。その気配、息づかい、ヒールの音、喋り声。先ほどまでそれがまったく聞こえていなかった事に、二人は気が付いた。
友美は痛みが急速に引いて行くのを感じていた。
「あの、大丈夫ですか?」
少女が心配そうに聞く。友美は弱々しくうなずき、なんとか体を起こそうとした。慌てて少女がそれを止める。
「動かない方が良いと思います――あ、そうか…。お腹が痛いんですよね?」
ゆっくりと、友美がうなずく。少女はちょっとためらってから、自分の右手を友美の下腹部に当てる。 そこは先ほど敦彦が触れた部分だった。そこだけが妙に重い空気を持っているようだ。 そこに手を当てると、じっと目を閉じる。柔らかな光が生まれ、満ちた。
「……」
心地がよい。敦彦に触れられた時とはまるで正反対の感覚が、友美を包んだ。
ゆっくり、ゆっくり――体に感覚が戻ってくる。痛み以外のもの。手足の痺れも取れつつある。
体だけではない。心も気持ちが良かった。音楽を聴いているような優しい感覚が満ちた。
「…あり…が…とう――」
口からも、声が出てくる。
「いいえ。まだじっとしていて下さい。大したことは出来ないけど――もう少ししたら病院へ連絡します。だから――」
友美はうなずいた。そしてほっとしたのか、――そのまま気を失った。



『現場を発見。闘争の後有り――場所は地下街、駅前です』
「駅前?そんな人通りの多いところでやらかしてるのか」
『結界が張られていたようです。一般市民にあまり影響はないようですが、被害者と思われる女性ふたりがいます』
「ふたり?」
『一人は連絡の通りの人物――もう一人は女子高生のようです。データにはありません』
「女子高生だあ?」
『そのようです――どうしますか。連行しますか?』
「ばっかやろ!被害者連行してどうする!…この件は私が処理する。報告書もいらん。――今のとこはな。それで、奴の痕跡は?」
『妖魔らしきものは判るのですが、玖亥敦彦本人のものだというデータが出てきません。パターンの照合では60%の確立です。断定は無理です。これから再チェックしてから処理します』
「60%じゃな。…OK、済んだら撤収してくれ。先刻も言ったが報告書は出すな。私が向かう」
『判りました――主任、高いですよ』
「わあってる。今度ボトルを奢るよ」



ほどなく、恵は地下街の現場へ着いた。歩いて5分かからない場所なのだ。 それなのに気がつかったのは不覚だった。この街を中心に幾重にも張り巡らされた魔除けの結界――は 何の役にも立たなかったことになる。尤も、相手は雑魚ではない。敦彦は立派な―― と言うと語弊があるのだが――人間として存在しているし、妖魔という存在で考えるなら上級の位置になる。
彼ほどの力があれば、結界は意味を為さない。それでも、その中にあってなお、界を作りだしたとすれば、敦彦の後ろも動いているということだ。もちろん、その痕跡が残っていない限り
彼の仕業だとは断定できない。恵には『判って』いるが、それだけでは証拠にならない。 現行犯でない限り、彼のように人間として暮らしている者を、妖魔としてしょっ引くのは難しいのだ。
実際、着いてみると、本当に痕跡らしきものが残っていない。サイコメトリは苦手だが、 それでもイメージくらいは視ることができる――筈なのに、何もかもがさっぱり消えて無くなっている。
哲理が怒りまくるだろうな――と思いながら、友美たちを探すと、すぐに見つかった。
公主電話のわきにいる。友美は気を失っているようだ。
「失礼?」
恵は近づくと、少女に声をかけた。
「私はこの人の友人で、第0課の人間です。杜守と言います。―― 今からこの人を病院へ運びたいのですが、立ち会っていただけませんか?」
名刺を出して尋ねる。少女は名刺を見てから、恵の顔をじっと見つめ、それからほっとした様に微笑んだ。
「良かった――このままじゃどうしようも無かったから――」
「…貴女が手当してくれたのね。」
友美を見ながら、恵はつぶやくように言った。敦彦が何を目的に来たのかはともかく、 その闇の痕跡は薄れつつある。消えてはいない。浄化されているのだ。
「ただ手を当てていただけです。人って手を当てると癒されるっていうから」
にっこり笑って少女が応えた。意識してやったことなのか、それとも無意識の裡なのか――いずれにせよ、サイキックレベルとしては、かなりのものだと言うことになる。
「ありがとう。じゃあ悪いけど――行きましょうか。病院はそこだけど、一応地上に車を待たせているから」
「はい」
少女は素直にうなずき、友美の上体を起こした。恵は軽々とそれを持ち上げ――もちろん、 PKを使ってだが――二人は歩き出した。
二人が去った後、数人の男性がそこを掃除し始めた。皆、清掃係の作業服を着ているが、 本来の地下街の清掃係ではない。この地方自治体の中に居る「もの」を清掃する職人―― 第0課の処理係――妖魔関係の事件が起った後、そこを通行する人々が、 妖魔や能力者の残したものに触発されてしまわないように『掃除』をする者たちだ。 後始末係と言われ、あまり花形では無いが、実は第一級のサイキックが集まっている実行部隊――所属するのは上司ではなく、 自治体でも国でもない――ある機関だ。恵は、この男達を動かしたのだった。 彼女自身は公務員だから、事件についてある程度上に報告する義務がある。が、彼らには無い。いや、 あるにはあるのだが、それは強制ではない。こと敦彦に関しては慎重になりたかった。
事件として処理してしまっても、奴は出てこない――それでは意味がない。
決着はいずれ付けなくてはならないのだ。

TO BE CONTINUED…

BACK   NEXT
専用提示版 LUNATIC LINE
LUNATIC DOLL TOPへ