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LUNATIC DOLL・16

IN YOUR EYES


木曜日。
午前中いっぱい休みを取ってから、友美は出社した。
この2〜3日は調子が良い。最近はどうも体の調子だけではなく、 気持ちも沈みがちだったし、妙にいらいらすることも多かったのに、一昨日から気持ちが晴れ晴れとしている。それも彼―― 利幸に、優しい言葉をかけてもらったからかもしれないと思う。なんとも現金なものだけど、 それも有りかと思ってしまう。嬉しいものは嬉しいのだ。
しかし体の方はほっておくわけには行かなかった。生理は止まっていたし、 利幸は気が付いていないようだが、食べ物の好みも少しずつ変わりつつある。 それを確かめるために先週は病院へ行き、今日、その結果を確かめるために半日、休んだのだ。
  ――おめでとうございます。
柔らかな笑顔で、産婦人科の女医は言った。
  ――もう4ヶ月を過ぎたところよ。体に気を付けなければね。
予想していたことではあったが、面と向かって言われると、それはとても重く、 そしてひどく嬉しい言葉だった。この自分の中に、もうひとつの命がある。間違いなく。そしてそれは利幸と自分の …気恥ずかしい言葉だが、愛の結晶なのだ。
出社してすぐ主任の神無生に報告し、さらに上にはもう少し待って、これからの事が決まって から報告することを決めた。今夜は利幸と外での食事を約束している。もちろん、 この事を話すためだ。彼はどう思うだろう。喜んでくれるだろうか。すぐに結婚と言うわけにはいかないけれど、 取り敢えず生まれる前に籍だけは入れておきたい。そうすると彼の父親にもあうことになる。 それにしても、すぐ会社を辞めるわけにもいかないので、しばらくはこのまま勤務する。 友美の仕事は分担される。引継も必要になる。色々話し合うことは多かった。――が、しかし、神無生は とても喜んでくれ、大変だけど協力するから頑張っていきましょう、と言ってくれた。
午後は仕事にならなかった。表だって騒ぎはしなかったけれど、同じチームの女子社員達は皆 とても喜んで、おめでとうと言ってくれた。こういうとき、陰口をたたく者が必ずひとりはいそうなものなのだが、 少なくとも彼女のまわりにはいない。――友美は幸せな気分で午後を過ごす事ができた。
定時になると、皆がこぞって、お祝いにちょっと寄り道をしていこうと言ってくれたが、 生憎今日は彼と待ち合わせがあるのだと言うと、皆がはやし立てた。友美は赤くなり、 彼に始めて報告するのだと言って微笑んだ。幸せな笑顔だった。
チャイムの音も鳴り終わらないうちに、友美は席を立ち、急いで会社を出た。待ち合わせの時
間にはまだしばらくあったけれど、化粧も直したかったし、その前に報告しておきたい人もいる。
仲の良い友人達には、週末の同窓会の時にと思ったが、 取り敢えず葛城哲理にだけは言っておくつもりだった。利幸を紹介してくれたのも哲理だし、先週末に会った時、 つい愚痴をこぼしてしまった事もあって、言っておかねばと思ったのだ。
それにしても、と思う。
出来ているかも知れない、と悩んでいた時は、あれほど不安だったのに、いざ間違いないと判った途端。 気持ちがすっきりしている。何故、あんなに悩んだのか、自分でも不思議なくらいだ。
もちろん、将来に不安が無いわけではない。それどころか、暗雲が立ちこめているのも同然だ。 利幸は父親に自分のことを話したことはないし、当然、最初は反対されるだろう。まだ学生なのだし、 友美自身も、自分が暮らしていくだけの事は出来るものの、決して裕福ではない。 両親は行方不明だし、妹は入院したままだ。生活は大変だろう。働くのも大変だろう。それでも―― 気持ちは浮き立っていた。新しい『いのち』が自分のなかに宿っている。どんなに大変なことも、 この命のためなら乗り越えて行けると、わけもなくそう思えた。
一度本屋に寄って目当ての本を買い、それからちょっと考えて、妊娠した女性向けの雑誌を一 冊買った。まだしばらく時間があったので、喫茶店で紅茶を飲んでから、地下街の中の、 公衆電話が数台集まっているコーナーへ向かう。利幸とだけでなく、この街で人と待ち合わせる時は、 たいてい、すぐ近くの大きなオルゴール時計の前に集まる。この街の名物みたいなものだし、 誰もが知っているからだ。
公衆電話は空いていた。最近は皆携帯電話やPHSを持っているので、あまり必要ないのだろう。
利幸は持っているが、友美はどちらも持っていない。必要だと思わないからだった。 何気なく数台のうちの一台に近づこうとして、友美は人とぶつかった。
「あ、ごめんなさい」
そう言ってからそちらの方を見て、友美はちょっと眉を寄せた。
ぶつかった相手は、中〜高校生くらいの少女だった。見たことのある制服に肩までの髪。一見、 普通の女子学生――その少女の瞳が、驚いたように大きく見開かれていたのだ。それは何か、 見たこともないようなものを見たときのような、そんな表情…。
「あの、なにか…?」
知り合いかな、と思ってあらためて見たが、覚えはない。制服も母校のものではないし、だいいち この年頃の子に知り合いは居ないはずだ。
「…いいえ…あの…」
その子は慌てたように言い、そしてもう一度友美を見た。不思議な瞳で。
「すみません、なんでも無いんです…多分」
ぴょこん、おとお辞儀をすると、少女は電話から離れ、2〜3台ほど先の、別の電話機に向かった。
「?」
人違いかな、と思いながらテレホンカードを出し、アドレス帳をめくる。哲理はPHSを持っている筈だった。 この時間だとまだ会社だろうが、直接会社に電話するのは憚られる。ナンバーを押しながら 横目で先ほどの少女を見ると、やはり向こうもこちらを気にしている。――なんなのだろう。 電話はなかなか繋がらない。やはり会社の方へかけてみようと思い、受話器を降ろしてかけなおす。
ふと、その少女と連れらしきもう一人との会話が耳に入った。
  「どうしたのよ、鈴菜」
  「あ、うん。…ね、そこの端っこの電話の前の人、見える?」
  「は?」
  「女のひと――二十歳過ぎくらいの…」
  「どこにいるのよ、そんな人」
  「――見えない?」
  「何言ってるの。それより電話、済んだの?」
  「そっか、見えないんだ…」
  「もう!」
何を言っているのだろう?――見えないひと?端っこの電話の前って、それは――と、その時電話が繋がった。
『はい。AKホームズ設計部です』
「あ…あ、すみません、桑田と申しますが、あの、葛城さんを…」
『はい、わたくしですが――あ、トモ?』
「そうです。ごめんなさい、会社に」
『いいよ。もう上がりだからさ。どうしたの。あ、もしかして、結果が出たのか?』
「はい!!」
うれしさに声が火照った。
『その声の調子じゃ…ビンゴ、なわけね』
「これから利幸と待ち合わせなんです」
『おお、報告会兼お祝いってやつ?』
「ええ、先輩には迷惑をかけたから――先に、と思って。あ、今日ヒマならご一緒しません?先輩パスタ好きでしょ。イタリアンの予定なんです」
『そりゃ嬉しいけど――でも遠慮した方がいいんでないの?」
「そんなこと――」
くすくすと友美は笑った。確かに二人で話したいことはあるのだけど、 どちらにせよ部屋に帰ればふたりきりなのだ。それにちょっと不安だし、利幸の性格も考えると、 他に人が居た方がいいのかもしれないとさえ思う。そのくすくす笑いにつられたのか、受話器の向こうでも哲理が笑っている。
と、そのとき――
「――失礼、桑田友美さん?」
肩に手が置かれた。電話中にもかかわらず。
その肩に、なにか、ざわりとした感覚が走った。体中の血液が集まってくるような――それでいてひどく気持ちの悪いような、そんな、感覚。
友美はゆっくりふりかえり――電話中であることも忘れて――その肩に置かれた手を見た。
その瞬間から、時間が停止した。
肩に手が置かれている。
白い手だ。
その手がその先と繋がっている。当たり前だ、手なのだから。そんな当たり前のことなのに、それが 何故か不思議に思える。白い手。その先の、腕、肩、そして人物。――若い男性の姿。
 ――あの、なにか?
声に出して言ったつもりだった。
人物が薄く微笑んだ。――酷薄な笑みだった。でもそれを冷たいと感じる心が麻痺している。
顔が見えない。見えているのに、認識できない。
 ――見つけました。
その人物が応えた。それも、しびれた耳の中にではなく、頭の中に入ってくるように聞こえた。
 ――見事に成長したようだ――貴女は良い母胎です――
そうして、その人物の手が、友美の肩から離れた。そのまま、止まった時の中を、 手だけがゆっくり移動してゆく、友美は動くことが出来ない。動かない、時が止まっているから。
手は、友美の頬に触れ、顎に触れ、もう一度肩に下り――そして、乳房に触れた。 服の上からだというのに、それは直接、彼女の体を這っている。
やがて乳房を過ぎ、その手は下へ伸びてゆく――友美のなかに宿るいのち、それが眠る場所、 下腹部へと伸び――そして――ためらうように一度止まった後――
ずぶりという音とともに、腕ごと友美のなかにめり込んだ。
 ――まだか――
そう、その人物がつぶやいた――と、思った瞬間――
「いゃああああああああ!!!」
激痛が、友美を襲った。

TO BE CONTINUED…


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