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LUNATIC DOLL・15

Voice Of Minds 3


「ただいまあ」
明るい声がして、友美が部屋に入ってきた。両手にスーパーの袋をかかえて笑っている。
利幸はちょっとびっくりして、見ていた雑誌を取り落とした――こんなに明るい顔をした友美を 見るのは、久しぶりな気がしたからだ。
「遅くなってゴメンね。ちょっと先輩とお茶しての。帰りにダイエー寄ったら、小アジのいいのが あったから買っちゃった。ね、何にする?」
「なんに…?」
「オカズよ。もしかしてもう夕食、すませちゃった?」
「いや、まだだけど…」
「よかった」
にっこり笑って友美はうなずいた。スーパーの袋をキッチン台に降ろし、食材を冷蔵庫や棚にしまい始める。
「最初は刺身にしようかと思ったけど、なんだか生もの食べる気になれないの。揚げようか?」
「あ、ああ…」
「じゃ、そうする。さっさと作っちゃうからお風呂に入ってきて。御飯は炊けてるわね、と」
言いながらエプロンを付けると、さっさと作り始めた。まだ不思議そうにそれを見つめている利幸に気が付くと、笑いながらどうしたの、と聞く。
「いや、なんか最近――調子悪そうだったから…」
「そう…」
フライパンを熱し、サラダの材料を刻みながら友美は応える。
「でも、なんだか今日は元気だな…なんか、安心したよ」
「ん」
利幸の居る居間の方向に背を向けたまま、友美はうなずいた。――嬉しかった。
自分を見ていてくれたのだ、と判って。
「じゃあ、俺、風呂入ってくるから――」
「判った」
そして顔を向けて笑う。
「のぼせないようにね」

いきなり時が戻ったようだと、利幸は思った。
ここ最近――1、2ヶ月の間、友美はずっと変だった。それまでは明るく笑う、家事の好きな世話 好きの女性だったのに、しばらく前から食事は作らなくなっていたし、何より一日中ぼうっとして 何も話さず、せず、ただ座り込んで居るだけの毎日。それでも会社には行っていたし、時折元に 戻ることはあったけれど、何を見ているか判らない――まるで膜がかかったような――目をして いたのだ。そして自分もまたそういう友美に怯えていた。最初それは、彼女が自分を責めている ように思ったからだ。
彼女が自分を責める理由はいくらでもあると思う。一緒に暮らしていることさえ、最初は奇跡の ように感じていた。利幸は母を覚えていない。幼い頃からひとりだった。 父はいつも病院に泊まり込みで、たまに帰ってきても彼と口をきこうとはしなかったし、 世話をしてくれる女性もころころ変わった。それが父の愛人だったのか、 それとも自分の世話のために雇われた人だったのか今となっては判らないのだが。友人もあまり多くなく、いつも勉強ばかりしていたような気がする。
そんな利幸が変われたのは、高校へはいるのと同時に家を出たおかげだった。寮生活、友人、遊び、語り合うこと、喧嘩をすること――人との付き合い方を覚えたのは、その頃からだった。
そして恋も。
恋、と言う言葉ははがゆい。恥ずかしい気がする。自分が人を愛おしむことが出来るとは思わなかった。――友美に出会うまでは。
高校を出た後、親のすすめるままに医大へ進み、寮を出て遠縁の経営するマンションへ移り、 ――それが実家へ戻らずにすむ条件だったのだ――忙しいながらも、のんびりと大学生活を 送っていた頃、彼女に会った。場所はバイト先。彼女の先輩――あの葛城哲理に紹介されて。
葛城は結構変わったところのある人物だったので、最初はその同類なのかとびくびくしていたが、友美は普通の女性だった。普通よりも少しばかり活字が好きだし (でもそれは利幸自身も同じことだ)変わった友人も多かったが、それは利幸に大きな刺激をもたらしてくれた。 互いの趣味に関して話し合ったり、時には言い合いもしたり――そうしていくうちに、 面倒見の良い友美が自分になくてはならない存在になっていったのだ。
彼女が愛おしい。
でも、彼女がおそらく求めているもの――これからもずっと一緒にいること、つまり結婚、 を考えるには、自分は若すぎるように思う。それに父親を説得する自信がない。 父は利幸が女性と付き合う事について面白く思わない。特に同棲は絶対に駄目だと言う。 ――自分はあちこちに愛人を作っている男なのにだ。それに、父が愛人達を愛しているとは思えなかった。 外での食事で同席した人も幾人かいたが――ああいう目で恋人を見るものだろうか、と思ったものだ。 そんな父親に、まだ大学で親のすねかじりの自分が、誰かと結婚させてくれと言っても、 一笑に付されるだけだろう。たとえ好きでもない男でも、親は親なのだ。
それに、友美には両親が居ない。あの『暗黒期』に行方不明になったままだ。残った妹はその時の ショックで今も入院している。そういう人はかなり多く、決して友美が特別なわけでは無いのだが 多分、あの父親には理解できないだろう。利幸の母親も医者の娘だった。息子には、 そういう女性を嫁にすると決めているのだ。
でも、今のままでいいのかとも思う。友美は25になる。彼女が結婚を望んでいるのは判るのだ。 彼女が望んでいるのが「病院の跡取り息子」でなく、利幸自身だと思うと、 それで自分は幸せな気分になれる――が、それだけで良いわけではない。
しかし、父を説得するのは無理だ。
そうして――また堂々巡りなのだ。
せめてこれで、友美が元に戻ってくれたら、それだけでも気持ちがずいぶん落ち着くのだけど、と思いながら、利幸は湯船から立ち上がった。

「うん、美味しかった。バッチリだったね」
食事の後かたづけをしながら、友美が満足そうに言う。実際アジは美味しくて、 利幸も御飯を二度もお代わりすることになった。他のオカズは胡瓜の酢の物、カニ玉、それに味噌汁。 それをすべて平らげた後で、コーヒーを飲んでいる。利幸の好きなモカだ。
「残った分は南蛮にするね。2〜3日漬けてた方が美味しいし」
「あ、それいいな」
「うん」
「なあ――トモ…」
にっこり笑って言う友美の顔を見て――ふいに、口をついて出た。
「なに?」
「お前、最近、体の方、大丈夫なの?」
「――体って…」
面食らったように、友美が聞いた。
「いや、なんていうかさ、最近、元気なかったみたいだし――それに、不眠症みたいだったし」
さすがに夜歩きしてたろう、とは聞けない。
「ううん…その、私は健康よ」
「それなら良いんだけど――心配、だから。その、病院とか、遠慮しなくていいんだからさ」
利幸の実家が医師会で力を持っていることがあるため、友美は極力医者を避けている。 保険証の住所もここにはなっていない。前のアパートは引き払ってしまったので、その前に登録していた 『陵高校』の住所だ。元々そこは『暗黒期』災害時に、近くの住民の避難所だったこともあって、 そういう形を残している者は結構多いのだ。まあそれはともかく、今回のことがあるまで、 医者には全くと言っていいほどかからなかった。例外は会社の健康診断だけだ。
「…気を使わせて、ごめんね。」
「そんなことないよ。マジに、ちょっと心配で――」
「…うん」
「だからさ、住所だって…別にここになってないんだから…その、体は大事にしなきゃ…」
「…ありがと…」
笑っていた友美が、突然、顔を覆った。
「な、泣くなよ――」
「――うん。ありがとう…トシ」
無理に笑おうと顔を上げる。が、その目には涙があふれている。
「なんだよ、このくらいで…」
「うん。最近、ちょっと感情過多なのよ…嬉しくて――心配、してくれて…」
「…馬鹿」
言いながらコーヒーを飲む。照れくさい。
「ね、利幸」
「ん?」
「――今度、外で食事をしない?」
「いいけど…なんでだよ」
正直、今月はピンチだ。
「たまには人の作った美味しい御飯が食べたいの。それに、ちょっと話したいこともあるし」
「話したいことって」
「――それは、その時に話す。ね、良いでしょ?」
「う〜ん…そうだな。たまにはいいか。で、何が食べたい?」
「『馬小屋』のパスタ!――コースで頼むの」
「あ、それは良いかも」
「でしょ?ずっと食べてないんだもん」
「そうだな。でも俺、今月ちょっと貧乏なんだけど…」
ぷっ、と友美が吹き出した。
「なに言ってるのよ。私の奢りよ」
「――そうかあ。じゃ、行こうか」
「良かった。じゃあ、明後日の木曜日、夜――あいてる?」
「別に用事はないよ。じゃあ、その日に…夜7時くらいでいいか?」
「そうね。定時が6時だし。その後いろいろやってたら時間かかりそうだし。 いちおう7時ってことで良いけど、仕事が終わったら携帯に電話するわ。それで良い?」
「OK。いいよ…待ってる」
「うん」
友美が笑った。いい笑顔だった。
利幸の一番、好きな顔だ。憂鬱な気分も、ストレスも、この笑顔で吹き飛んできた。 悔しかったときも、落ち込んだときも、友美の笑顔が支えて、励ましてくれた。
この2年、ずっとそうだった。そしてこれからもそうだろう。
この笑顔を失いたくない。
やはり、早く調べてもらわなければ。
友美がもう二度と、おかしくならないように。
この笑顔を、ずっと見ているために。
ずっと――

TO BE CONTINUED…


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