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LUNATIC DOLL・14

Voice Of Minds 2


毎日会社を出た後、本屋に寄るのは友美の習慣だ。雑誌、小説、コミックス、なんでも読む。 この習慣は高校時代に――尤も彼女の高校時代のはじめの頃は、世の中がひっくり返った様な騒ぎで まともに出版を続けている本は少なかったのだが――同じ美術部の先輩たちの影響でできた。 とかく活字中毒な人が多かったので自然そうなってしまったのだ。 母校の美術部には変わった人物が山ほどいた。美術活動もよくやっていたが、それ以上に小説を書いている者、 詩を書く者漫画を書く者、なんでもござれで、面白人間大放出のような有様だった。 第三期以降と呼ばれる友美たちの時代になってからはそうでもなくなったけれども。
とにかく、その頃の習慣は就職しても変わらず、用も無いのに本屋に寄ると落ち着く――という 悪癖のようなものが出来上がっていた。まあ、本や画材に囲まれていればいいという事なので 図書館でも画材屋でも文具屋でもよかったのだが…。
しかし今日は約束がある。神無生に相談したいこともあった。そういうつもりではなかったのだが 向こうがその気でいてくれるなら断る理由は無い。妙に騒ぎ立てたりしない人間だと信用していたし、 直の上司でもある彼女に、言っておかねばならないこともあった。それに――あの係長の言葉が妙に気になっていた。
 ――相手は玖亥社長じゃないんだね――
いったい何処をひっくりかえしたらそういう台詞が出てくるのだろう。顔も覚えてない取引先の、 それも社長。うちの会社に来たことだって殆ど無いはずなのに。
正直、唖然としたあと、起こってきたのはむらむらとした怒りだった。 人をいびるのが好きな男だから仕方が無いのかもしれないが、あの、事務所全体に筒抜けの場所で、妊娠だの、 リストラだのという言葉を平気で口にするあの神経――あの時神無生が割って入ってくれなかったら、 怒って叫んでいたかもれない。そういう意味でも友美は神無生に礼を言いたかった。
本屋を横目で見、通り過ぎようとしたとき――あれ?と友美は立ち止まった。 地下街の通りに面した雑誌置き場で立ち読みをしている人物が目に入ったのだ。
「神無生さん?」
人物は友美に気が付くとはっとしたように時計を見、笑って言った。
「ごめん、まだ大丈夫かと思って――どうも遅くなりそうだったから、抜け出してきたの」
神無生はまだ制服である。
「遅くなりそうって…」
「あのバカが企画書に文句つけたのよ――だから部長が帰ってくるまで待機。で、 食事して来るって言って出てきたの。丁度良かった。『ウミノ』行こ」
「でも――今日じゃなくてもいいですよ?」
「いいの。私だって息抜きしたいから。どうせ他の仕事は終わってるんだから。奢るよ」
「じゃ、ご馳走になります」
笑って友美は言った。
本屋から『ウミノ』まではすぐだ。二人は喫茶店に入ると腰を下ろし、オーダーを頼んだ。 神無生はキリマンジャロ。友美はフォートナムメイソンのストロベリーティ。
ウェイトレスが行ってしまうと、神無生はため息をつき、手を伸ばしてう〜ん、と伸びをする。 会社でストレスが溜まっていたのだろう。
「あのう」
「桑田ちゃん、病院へは行ったの?」
唐突に友美を見て言う。
「…え、ええ」
「で、結果も聞いたのね?」
「いえ、それはまだなんですけど――でも、どうして判ったんですか?」
聞かずにはいられない。
「最近休みがちだったから。貴女が彼氏と一緒に住んでいるのは聞いていたし、 お手洗いで具合が悪そうなのも見てたからです。だからカマをかけたの」
「え?じゃあ――」
「そう。でもホントなのね…多分」
「ええ」
言って友美はくちびるを噛んだ。いつも気にしているわけではないので、この事実と直面するのは 自分でも結構勇気がいる。人から指摘されば余計に。それを思いやってか、神無生は優しく言った。
「ごめんなさい。でも聞いておかなければならないことだから。仕事のこともあるし、何より貴女自身のこともね」
「黙っていたわけじゃないんです」
神無生が頷く。
「はっきりそうだと決まったわけじゃなかったし、結果を聞きに行くのは今度の木曜日なんです。 もしそうじゃなかったら騒ぎ立てるようで嫌だったし。迷惑もかかると思って」
「うん」
「それに――こんな事を話すのはおかしいかもしれませんが、うちは結婚しているわけじゃありま せんし、この先どうなるのか判りませんから」
「それはそうよね」
伏せ目がちに、神無生が言った。
「でも、みんなに知られてるとは思わなかったんですけど」
「…まあね。みんなは気が付いてなかったでしょう。今日あのバカが言い立てなきゃね」
「でも、神無生さんは気が付いてたんでしょう?」
「それにはタネがあるの――今日、係長が言ってたこと、覚えてる?」
「言ってたこと?」
「そう――玖亥社長がどうのこうのって言ったじゃない」
「はい。…私、そのことも教えて欲しくて」
「そうよね。それについては話すこともあります。でも、その前に、 どうするつもりなのか聞かせてくれない?これからどうしたいのか。結婚するの?」
「…――それは、まだ、多分、無理だと思います。」
「そう…」
コーヒーと紅茶が運ばれてきた。ふたりはそれぞれのポットから自分のカップにつぐ。
「お砂糖は?」
「いえ、これ、結構甘いんです」
ストロベリーティをひとくち口に含む。甘い香りと果実が広がっていく。
「おいしい」
「ええ、こっちも美味しいわよ」
ふふ、と神無生は笑った。それを見ていた友美の口から、ふと言葉が出た。
「――神無生さん、結婚はしないんですか?」
「え、ええ?私?」
「だって神無生さんなら引く手あまたでしょ」
「――そんなことないわよ。だいいち、私の適齢期には世の中がおかしくなってたし、 男の数も少なかったから、機会がなかっただけ。とくに結婚しようとも思わなかったし」
「そうですか?」
「それほど必要性を感じなかったの。相手がいればしていたでしょうね」
「神無生さんならいたでしょう?」
「残念ながら。――私が求めるものはなかった」
少し思いにふけるように神無生はそう言ったが、すぐに向き直る。
「それより、貴女は?」
「私は…」
ためらいがちに言って、友美はうつむいた。
「私は、しばらく無理だと思います。彼は忙しいし、学生の身ですから。 向こうのご両親も私のことを知らないし、…だから迷ってるんです」
「子供のこと…?」
「ええ。産みたいと思っています。他には考えられません。でも――彼がなんて言うかと思うと」
「じゃあ…」
神無生の目が見開かれる。
「彼には、言ってないの?」
「ええ――まだ。これもはっきりしてからだと思って。それに、最近どうも彼の様子が変だし」
「浮気とか?」
「それは無いです。私だって一緒に暮らしているから――それは判ります」
友美は苦笑した。
「そうじゃなくて、私を避けてるみたいなんです。どうも話すの厭がってるみたい」
「彼に知られたんじゃないの?医大生でしょ。そういうのって判るんじゃない?遠慮してるとか」
「…いえ、違います。遠慮とか――そういうものじゃないんです。なんていうか――」
ぴく、と友美の肩が震えた。
「…怖がってる、みたいな――」
思い出す。利幸の顔、なにか――何かおそろしいものでも見たような顔。友美を避けたときに見せる、 こちらの方を伺うような目、怯えたその表情。それは決して恋人に見せる顔ではなかった。 友美が誰なのかわからない――これは誰なんだろう、なんなんだろうというあの目。
――これは誰だ
――友美はどこへ行った?
私はここにいるじゃない、ここに。あなたのそばにいるじゃない、どうしたの?
――どうしてお前がここにいるんだ?
貴方のそばにいたいの、貴方のそばに――私の場所があるって言ったじゃない
――これは誰だ、何だ?
貴方が居てくれって言ったじゃない。どうしてそんな目をするの?
――誰だ、誰だ、ダレダ、ダレ…
いや、やめて、その目をやめて――
「怖がっている…か」
ふいに――声が聞こえて友美は我に返った。
「それは有り得るかもよ。男の人って子供が出来たことに実感を持てないって言うし――」
「どうもそんな感じじゃないんです」
「大丈夫よ、彼のこと、信じてるんでしょ」
「――ええ、多分、彼は私を大切にしてくれました――いつもそばに居て欲しいと言ってくれたし、 私を愛してくれていると思う――」
「ごちそうさま」
神無生はくす、と笑って言った。――その微笑みにすがるように、友美は言葉を絞り出した。
「でも――あの人は私を捨てるかもしれない。あの目が…あの目が私は怖い。 怖いのは私のほうなんです。子供が出来たと言ったら、彼は私から遠ざかるかもしれない―― 逃げるかもしれない。私から…また」
「また?」
神無生が眉をひそめる。友美の目が宙を見ている。ここではない、どこか別のところを見る眼。
狂気の彩。
「また、私は捨てられるかもしれない――そして閉じこめられ、子供もいっしょに―― そうしてあの人は私を忘れる――いいえ、忘れさせはしない、もう二度と――あの人は私のもの。 私とこの子のもの。今度は決して離れない。あの人から――」
「桑田ちゃん!」
「…え?」
夢を見ていたような目で、友美は神無生を見た。そこには先ほどの狂気はなかった。 ただぼんやりとした、不思議そうな顔があるだけだ。神無生はほっとして息をつき、友美の肩に手をおいた。
「神無生さん?どうしたんですか?」
「…どうしたもこうしたも――覚えていないのね。」
「はあ?」
「いいわ。ともかく、彼の事を信じて――ちゃんと打ち明けて。 それで彼がどんな反応をしても動揺しちゃ駄目です。男ってのはなんでも怖がるものなの。 あなたがしっかり彼を捕まえておかなくちゃ。ね?信じればきっとその通りになるものよ」
「そうですよね」
友美は微笑んだ。そこには、恋人の拒絶を病的にまで怖れていたあの女はいなかった。 いつものおとなしいがしっかり者の桑田友美がいるだけだ。
「そうよ。元気を出して」
「ありがとうございます、神無生さん」
「いいのよ、それより――肝心のことを…あら?ちょっと待って」
ピピピピピピ、と音がする、神無生は懐から携帯電話を取り出した。
「はい?神無生ですけど――あ、部長、そうです。…はい、はい…え?ああ…そうですか、 じゃ今から急いで戻りますから」
電話を切ってポケットにしまうと、困ったように友美に言った。
「部長が帰ってきたようなの。帰らなくちゃいけない――だから、手身近に話すわね、いい?」
「はい?」
「例の玖亥社長のこと――この間彼が来たとき、桑田ちゃんを見て『妊娠しているようですね』 って言ったのよ、あの人。普通なら冗談にもならないことだけど、あの社長、 かなり有名なサイキックらしいから、あのバカもびっくりしたの。で、その後――」
ちょっとためらったように
「その後ね、『おたくも不景気で色々大変でしょう、彼女ならいつでもウチが引き取りますよ』 …って言ったの。で、バカが思わず『桑田くんとはどういうご関係で?』って聞いて―― ホント、バカよね、あいつは――それに応えて玖亥社長が言ったの『浅からぬ縁ですよ』って」
「…はあ?」
「私は貴方が彼と一緒だってこと知ってたから、そんなこと、思いもしなかったけど、 誤解したのよ、係長。貴方が社長の恋人じゃないかって」
「そんな馬鹿な、だって私、顔だって覚えていないんですよ?!」
「知ってる。だから私も変だとは思ったのよ。だけどあの男は信じちゃったみたい。 で――貴方に嫉妬したのよ」
「ええっ?」
思わず友美は大声をだしてしまい、慌てて口をふさいだ――つもりだったが、
「あのバカ、結構玖亥社長のこと、憧れてたし――30も過ぎた男のくせにね―― それにどうも玖亥社長もそうだけど、あっちの気があるみたいで… あなたに妙につっかかったのはそのせいなの。私も気になっていたけど、まさかあんなやり方をするとは思わなかったから――」
「は、はあ…そ、そうですか」
開いた口が塞がらないとはこの事だ。
「ごめん――ともかくそういうことです。だから貴方は心配しなくていいわ、会社のことは。何より、まず」
立ち上がりながら、神無生は伝票を手に取った。
「まず貴方がすることは、彼を信じることよ――」
「はい」
立ち上がろうとする友美を制して、神無生は言った。
「いいから、ゆっくりお茶飲んでから帰って。そして明日は元気に出てきて下さい。」
「判りました」
微笑んで頷くと、そのままレジに向かい、会計を済ませて外に出ていく。
それを見つめて友美はなにか、気持ちが落ち着いてくるのを感じた。
信じてみる――あたりまえのこと。だけどこんなに怖かった。今でも怖い。利幸の、あの目を思い出すと、自分の存在が否定されているような気さえしてくる。でも――
(大丈夫だ、彼はきっと判ってくれる)
お腹の子――たぶん、間違いない。なにより友美には、子供の存在が確かに感じ取れる。 この子を一緒に育てるのだ。今すぐ結婚できなくてもいい、彼に心配はかけない。 今までだって彼を支えてきたのは自分だった。だからこれからも、そうしていこう。そしていつか、 彼と子供と幸せな家庭を築くのだ。
 ――今度はきっと。
そう思って、ふいに苦笑した。今度もなにもない。友美には初めての子だ。そして最愛の彼の子。 なにもかもはじめての経験なのに、なにが「今度は」なのだろう。どうかしてる。 それに、彼女の興味は他のことに移っていた。係長、玖亥社長――美形だという噂だったけど、 前にその人に会ったことがあるのだろうか…覚えがない。見たことはあるのかも知れないが、 少なくとも話したことはないし――お茶をどうぞ、と言ったことくらいだ――ましてや『浅からぬ縁』 だなんて――とんでもないことだ。
(あ、でも、もしかして…)
玖亥社長はサイキックだと言っていた。友美自身にサイキックの気はないし、 むしろ怖がりだからその手合いは苦手なのだが、知り合いにはサイキックが多い。 『陵』高校はサイキックの宝庫だと言われているほどだ。現に一期には恵がいて第一線で活躍しているし、 哲理も詳しいことは知らないが、サイキックなのは確かだ。美古都もそうだし、 同級生にも、他にもあげればきりがないくらいいたはずだ。そっちの知り合いで会ったことがあるのかもしれない。
(なあんだ)
そう思うと妙に元気が出てきた。友美にとって陵高校からの友人達は、今でも大切なひとたちだ。 問題のある人も多いし、変わった人も多いけれど、それは友美の青春から続いている奇跡の糸のようなものだ。 互いの心のうちをあかしあい、語り合い、そしてあの暗黒期を過ごした――
(今度、先輩の誰かに聞いてみようかな)
そういえば土曜日に同窓会をやるという話を聞いたような気がする――あれは誰だったか。そうだ 美古都だ。日曜日に電話を受け取った筈なのに、また忘れていたのだ。最近もの忘れがひどい。
それでよく利幸にも迷惑をかけている。でも彼は責めない。責めようとして――友美を見、 そしてあの目をするのだ。
(でも、くよくよしたって始まらないわ)
持ち前の明るさで友美はそう思い直した。そう言えばこの間は哲理と会ったのだ。 病院の帰りにばったり――その時に哲理だって言ってた。ともかく話してみなさい、と。
時計を見ると7:30を過ぎていた。慌てて立ち上がる―― 急がなければダイエーが閉まってしまうのだ。 この時間は閉店前の安売りの時間帯だから早くいかないと何でも無くなってしまう。
レジの方へごちそうさまでした、と声をかけて急いで店を出た。 地下街のなかの通路は家路を急ぐ人々でごった返している。
(今日はなんにしようかな――トシ、魚好きだからなあ、アジの南蛮でもしようかなあ。でもまだ高いよね…)
そんなことを考えながら、友美は足早に歩いていった。

TO BE CONTINUED…


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