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LUNATIC DOLL・6

LIGHT


「いやああああっ!」


思わず叫んで、友美は悪夢から覚めた。


真夜中の三時過ぎである。辺りには、ベッドサイドの薄灯り以外、何も見えない。
青ざめてふるえながら、ゆっくりと息をする。
怖い夢だった。
飲み込まれるかと思った。
あの音に。
「…ん…」
隣に眠る利幸の軽い寝息が聞こえてくる。一瞬びくっとして、それから、涙が浮かぶほどにほっとする。
この人がいる。
それだけで。
そう思うと、本当に、涙があふれる。
この人がいる。
自分の愛するもの。自分を愛してくれるもの。
眠っている利幸の顔に、ゆっくりと手を滑らせる。
愛おしい。
友美はそう思った。
(この人のことを、私は、愛しているのだ)
そして、涙がこぼれる。
(何故、こうなってしまったのだろう)
判らない。夢の続きのように。利幸を見ているだけで、涙があふれる。幾度も、幾度も。
この人を、失いたくない。
切実に、友美はそう感じている。
でも、この人はどうなのだろう。私を愛してはいてくれるだろう。少なくとも、今は。だが
これからは…?
「利幸…」
愛しげに、その名をつぶやく。
(こんな時、起きて、大丈夫かのひとことくらい、言ってくれればいいのに)
そんなことを考えて、苦笑する。
それでも、この人が愛しい。
どんなことになっても、辛くても、哀しくても。
(あなたを支えて生きたい…)
そっと、友美は自分の腹部にふれた。
(まだ見ぬいのち。でもこれは、この人と私の、大切ないのちだわ)
ほっとして…それからもう一度、友美はふるえた。
何という夢だったのだろう。
声だけの夢。いいや、正確には見えないだけで、触覚もあったようだ。 人の肌の柔らかさと、土くれの感触。そして、あの…
(いや!)
思いだそうとして、友美は首をふった。忘れたい夢だった。ぞっとする。 …どこか怖い、おかしな、狂っている夢。
ふう。
息をつくと、まとめていた髪をほどき、大きく伸びをしてもう一度、利幸を見た。
あどけない寝顔だ。
ふふ、と微笑み、ベッドの中に潜り込む。そっと、利幸の肩に首をのせる。
眠ろう。
夢は忘れて。
この人のかたわらで。
そう思う間もなく、友美は急速に眠りへと落ちていった。
穏やかな、安全な、眠り。
だがその意識の底に、夢のかけらを残したことに、彼女は気付かなかった。




 どくん。

 どくん。

 かあさまの白い…

 …白い…

 

――――――――――――――――――

 


晴天。
F市国際センター。
今日は同人誌即売会なのである。 この地方では二番目に大きい会場で、中央から大手のサークルも来たりするから、結構はにぎわいとなる。 哲理は悪友の関係で、この即売会の助っ人スタッフのひとりになっているのだった。…元々オタクなのである。 ただ、参加する側から、主催の手伝いをする側に変わっただけのことだが、これが結構しんどい。 哲理本人は手伝いだからいいのだが、悪友は主要スタッフだから、やたらと忙しい。 会社ではなく趣味やっている団体なので、スタッフも皆職業を持っているか、学生である。 その私生活の間をぬって、こういうイベントを開く。手は足りないから、いつでもスタッフ募集だ。 もちろん、ボランティアだが(笑)(注)
「本日のオ、パンフレットはぁ、自由購入制エ、いっさつ300円となっておりますう」
大声を張り上げて警備が叫ぶ。ばらばらと並んだ人の群が続き、哲理達の手から次々にパンフレットを買って、入り口を入っていく。 ここは戦場だ。息つく間もなく人がやってくる。
「うう。今回は完売しそうだな」
「…そうですね」
一緒に並んでパンフをさばいていたひとりが相づちを打つ。昼の休憩が回ってくる時間になって、どうにか余裕が出てくるのである。 めざとい客はもう入ってしまっているし、目当てのサークルがあるなら、朝の七時から並ぶ者もいる。 昼過ぎともなれば、いいときはパンフレットは完売状態になり、手も空く。…たいていは他の部署に援護に回るのだが。
「哲理、いるか?」
チケットブースの後ろから、おなじみの顔が出る。
「うん。なに?」
「今夜の打ち合わせ。…青樹さん、休憩回せそうですか?」
「いいですよ、杜守さん。…哲理くん、行って来て」
「どうも、じゃ、このブース閉めますか」
「そうしようか。落ち着いてきたし」
うなずいて、哲理はブースの扉を閉める。表の警備に頼んで、調整してもらい、席を立った。一回大きく伸びをする。
「じゃ、30分後に」
手を振って、ブースの部屋を出る。そのままそこは、スタッフの控え室になっている。 あちこちに弁当をかくらっているスタッフが点在し、ほか弁が積み上げられている。
「今日は何にしようかなあ」
「唐揚げ余ってるよ」
「チキン南蛮の方がいいや」
「なんでもいいからさっさと決めな」
苦笑して、悪友が言った。結局唐揚げ弁当を取り、部屋の隅に落ち着く。弁当を広げる。
「今日はありがとね」
笑う。…毒舌で、容赦はないが、まあ、この一言は嬉しい。 正直、哲理はこのひとことで、どうにでも動いてしまうところがあるのだった。
悪友。杜守 恵(ともり けい)、哲理とは小学校から同じなので、既に幼なじみに近い。 理知的な風貌と毒舌。さらに大量の仕事をこなす凄まじさを持つ「N&Nカンパニー」きっての調査員でもある。 もちろん、N&Nとは役所の裏機関の隠れ蓑だから、恵の仕事もほとんどそういうものだ。 一応、表の業務として、プログラマーもやっているようだが、それがどれほどの量なのかは知らない。 だが少なくとも、人よりは働いているだろう。結構内面は優しい恵に、そういう仕事が勤まるのか、哲理はかなり心配していたが、 それは杞憂に終わったらしく――いろんなところから流れてくる情報では「杜守はこわいぞ」 というものばかりだった。天職だったのかもしれない。
その恵のもうひとつの顔が、この同人誌即売会の主要スタッフなのだ。
「ややこしいの?」
唐突に恵が聞く。なんというか、このふたりの会話は、主語や動詞が欠如していることが多い。 前置きもほとんど無い。どうしてこれで話が通じるのか、本人達も不思議である。
「マルがさ、独り身じゃないから」
「家族?」
「1.5」
「ああ。そりゃやばいね」
「そう。下手したら、0.5の方が怪しいかも」
「でも、マルヨーじゃないんだろ?」
「たぶん。って、それを確認してもらいたいのよ。わしは」
「あちらさんとはどうなってんの?」
「あちらって…」
哲理が口ごもる。ふれて欲しくない話題、『事情』だ。だが恵はお構いなしに聞く。すべてを知っているのだ。
「それによっちゃ、考えなくちゃならん。…あれから連絡は無いのかい?」
「…無いよ。時候のあいさつは会社から届くけど」
「それならいい。で、マルは誰さ」
「ここで言うの?」
そっと辺りを見まわす。聞き耳を立てている者はいない。しかし、不安である。
「大丈夫。スクリーン張ってるから」
言われて視覚をずらしてみる。確かに…結界と言うべきものがあった。簡単なものだが効力はあるだろう。
「…いいけど。夜はどうすんの」
「いいじゃん。今日は15:00抜けして調べようと思ってたんだ。こっちは手配したし。 後はうまくやってくれるはずだから、で?」
「…トモ」
「は?」
「トモだよ。桑田友美。ミササギ美術部4期OBの。…ほら」
「…あいつ、まとまってたっけか?」
「まだ。相棒が学生だから」
「は〜ん」
「オフレコにしてくれ。面倒だし」
「勿論だよ。ああ、思い出した…そっか、相棒はあのぼんぼんだよな」
「そう。トシ。香月利幸」
「…『香月』…?」
眉をひそめる。額に手を当てて、しばらく考えるようにする。
「…調べよう。ちょっと気になる」
「なんかあるのか?」
「わからん。でもファイルで見た覚えがある名前だ。…よし、今日は15:00であがる。お前もつきあってくれ」
「うん。じゃあ、上がったらどうする?」
「昨日、騒ぎがあったあの喫茶店、あるだろ。今日はもう営業OKの筈だから、 あそこで待ち合わせよう。ついでにちょっと「視て」おくよ」

「OK。じゃ、カフェ・クリエで」
「うん」
言って、恵は席を立った。ふいに結界がとけたのがわかる。 弁当のからをゴミ袋に捨て、いそいそとスタッフ本部へ戻っていく。忙しいのだ。
哲理の方も、そうそう無限に時間があるわけでもない。さっさと弁当をすませ、ふと気になって荷物の中のPHSをのぞいた。
【ルスロク1ケン】
(げっ)
慌てて再生してみると、そこには美古都の声が…
(まずい、まずいぞ…)
急いで番号を押す。日曜の昼下がり。美古都が家にいるとは考えにくかったが、相手も携帯だから、おかまいなしだ。 しばらくコールが続き、やがて相手が出た。
『はい、斎です』
「も、もしもし…」
『…さ〜〜と〜〜り〜〜〜』
(わ。こりゃまずいわ)
「や、やあ、元気?」
『いったいいつまで待たせんのよっっ!!』
とたんに怒りの声が響いてくる。 思わず耳から離してしまうが、それでも聞こえる程の大声だった。怒り満面の美古都の顔が目に浮かぶようだ…。
「ごめんごめん、昨夜帰ったの、午前三時すぎだったからさ、…今、イベント中なんだ」
『あ、そう。愛しの恵ちゃんに会えて嬉しい?』
「うぐ。それは…」
そこで何故つまる!
『いーわよ。どーせあたしより、恵ちゃんの方が大事だもんね』
「悪かった、悪かったって、ごめん。で、用はなんなのさ」
『教えて欲しい?』
突然、笑いを含んだ声になる。甘えるような、楽しげな声。どうやらお怒りはとけたらしい。
「はいはい。教えて下さいまし」
ほっとする。美古都がご機嫌でない状態というのは、どうにも苦手なのだ。 もう。ほとんど彼女に手を焼くオジサンの気分である。まあ、それもある意味では本当なのだが…。
『じゃ、今夜、つきあって』
「今夜は用事があるんだけど…明日じゃ駄目か?」
『何よ、何の用事?』
「いや、恵ちゃんとちょっと…メシでも食おうと…」
『なんだ、それじゃ一緒に食べようよ』
「いや、それは…」
ちょっとまずい。トモの件は、なるだけ人に知られずに済ませてしまいたい。
『はん。そう。…二人っきりがいいのね』
「だからそーいう情けない誤解をするなっちゅうの!!」
『誤解じゃないでしょ。まあいいわ。許してあげよう。かわりに明日、ぜええええったい付き合ってよ』
「わかった。ごめん」
『明日は「水城」のフルコースね。ワイン付き』
「…そこまで言うか…」
『当然。予約しておくからね』
「はいはい。…ところでいやに騒がしいな。何処だ?」
『国際センターよ。イベント会場。じゃあね。』
ぷつん、電話は切れた。
「………」
なんのことはない。ここに来ているのだ。スタッフルームに顔を出せばいいのに、と思ったところで、お呼びがかかる。
「哲理くーん、そろそろ休憩上がって、交替して頂戴」
「ああ、はい。今いきます」
哲理の前途は多難であった。

TO BE CONTINUED…


注1…福岡のイベントでは、ホントに常時スタッフを募集しています。やる気があって責任の持てる方、是非おいでくださいまし…怖くないよ(笑) 興味がある方はくらげまで連絡してね。


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