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LUNATIC DOLL・5

SPACER


「いや、もう、その件に関してはね、ちゃんと済んでいるんですよ。貴方のそのね、ご友人だって言う人がね、いろいろやってくれたんですから、ええ」
早く帰ってくれと言わんばかりの顔で、汗をぬぐいながら、マンションのオーナーはそう言った。
中央区に立つ、五十坪の自宅である。
訪ねてきたのは、長い髪と黒い瞳の年齢不詳の男性であった。すらりとした長身に黒のスーツを身につけている。 抜けるように白い肌。向けられた瞳はひどく神秘的で、その向こうには遠い世界が映し出されて見える。 印象的というより、むしろ美しいと言っていいその容貌に、うすく、笑みが浮く。ほとんど変わることのない表情に 咲いたそれは酷薄、と言えるほどだ。
男は、一年前にとある相談をした、『拝み屋』の友人だと名乗った。
「ですから、その本人から頼まれたのです。どうしても、この件について、やり残したことがあるからと」
「やり残したってねえ。ちゃんとおさまってますよ。ええ。ほんとにね」
「今はそうかもしれません。しかし、これからもそうだとは限らないでしょう」
「そんなこと、あなたに言われなくってもねえ」
吐き捨てるように言う。丸々とした顔に浮かぶ汗を、手にしたハンカチで拭う。きついくらいに効いた冷房が、嘘のようだ。
「彼はそちらのマンションの改装以外にも、条件を出した筈ですね」
「は?ま、ねえ」
「あなたの親族の独身男性をひとり、ここに住まわせる事。そしてその部屋には、決して女性を同居させないこと」
言ってから、彼はその神秘の瞳をゆっくりと向けた。きつい、光が宿る。
「ここへうかがう前に、そのマンションを拝見させていただきました」
「…な、何ですか…」
その静かな視線に射すくめられたように、オーナーはその太った体を短くふるわせた。
「破りましたね」
「は…」
「あれでは、何があっても不思議ではありません。いいえ。もう何か起こっているかもしれない。特にあなたの親族の男性には」
「ば、馬鹿なっ」
がたん、と大きな音を立てて、オーナーは立ち上がった。重そうなソファが揺れ、テーブルがゆがんだ。 顔が蒼白になっている。脂汗がひとしずく、額をつたって顎へ落ちた。
「あ…あんた、『サイキック』なら資格。持ってるんだろうな」
「別に。申し上げたでしょう。私は彼の友人だと」
「なら帰ってくれ。何かあったら、ちゃんと役所の『第0課』に届ける。こっちは確認申請だっておりて改築までしてるんだ。 何も問題は無かった。これからだってそうだ。いいか、もう来ないでくれ。…もめごとはたくさんだ。帰ってくれ!」
それだけ言うと、オーナーは首を振り、さっさと部屋を出ていった。 入れ違いに入って来たお手伝いの女性が、不思議そうに主人を見つめ、それから慌てたように「お客様」に向かって言う。
「あの、お茶をお持ちしましたけど」
「ありがとう。だが結構。もう失礼する」
「あら、そうですか」
煎れてきた紅茶を残念そうに見、それから「お客様」の方へ好奇の目を向ける。
「あの、サイキックっていうか、そういうの、なさってるんでしょ。その…うちのご主人に、何かあったんですか?」
「…さあ」
ひとめで営業用だ、と判る冷たい微笑みを返すと、彼はゆっくり立ち上がった。
「お邪魔をした。失礼する」
そして男は、その家を出た。

玄関には誰も見送りに来ず、好奇心旺盛なお手伝いがのぞいているだけだった。 主人は塩をまくように怒鳴っている。そんな中、彼は重さを感じさせない優美な歩き方で、門の外へ出た。
――つと、そのそばに、ひとつの影が現れる。
彼と同じくらい…いやそれ以上に背の高い、少しばかりがっしりとした感じの男だ。同じように黒いスーツをまとっている。 彼が足を止めると、軽く頭を下げた。
「御首尾は?」
「悪い」
「そうですか」
「そちらは?」
「…あのマンションにまだ役所の手は入っていません。しかし例の部屋には、確かに女が同居している模様です。」
「だろうな。判るか?」
「詳しい調書は後ほど。しかし、その女、『陵高校』の出身です」
「…ミササギの…?」
彼の表情が微かにゆらいだ。それまで冷たいまでの印象しか無かった顔に、初めて灯りがともったようだった。
「では、やつらとも顔見知りか」
「判りません。…年も離れておられますから」
「お前は奴が嫌いだからな」
「御意」
影が短く応える。ふ、と彼が笑った。
「まあ、いい。ともかくこの仕事は受けることにしよう」
「若!」
影の顔に苦いものが走った。
「あの方に会われるおつもりか」
「事情によってはな。勘違いをするな。…これは一門の問題だ。このまま放置しておけば信用にもかかわる。」
「そうですが…何も若が…」
「遺言を聞いたのは私だ。不服か」
「…」
影は黙って頭を下げ、彼の一歩後に下がった。
彼の、今はもうこの世にいない友人が、夢枕に立ってまでも伝えたかった用件は、その恩恵を受けるはずの人間から、 すっぱりと断られてしまった。もう、義理はない。あの男は自滅するだろう。
だが、友は死んでからも、そのただひとつきりの願いのために、彼の夢に現れ続ける。
後悔。
依頼主に罠をかけたこと。 永い長い時の流れに埋もれたまま、地の底で朽ちた生命の怨嗟の声を、そのままあの男へ運んでやったことを。 そしてそのために、関わりない者まで巻き添えにしてしまうことを。
門の前でふと振り返って、表札の文字を見つめる。
『香月』
友は何を思って、あの男を罠にかけたのだろう。
わざわざ、時間を稼いで。
そして、自分はまた、何故にこの仕事を受ける気になったのだろう。
彼の脳裏に、ひとりの顔が浮かぶ。
だが、その思いはやがて、優しく吹く秋の風にかき消され、彼は何もなかったように、そこを後にした。

――――――――――――――――――


18:00を過ぎた後は残業だ。
仕事が山ほど残っていて、たとえ帰れなくとも…いや、帰れないならなおさら、開き直ってみなリラックスしはじめる。
気の早い者はさっさと食事に出かけるし、そうでなくともお茶の一杯くらい楽しむ者もいる。 その後に地獄が待っているからだ。
その時間を狙って、哲理は心当たりの電話番号をプッシュしていた。
回線が繋がると、まず、時間外のアナウンスが流れる。時間外はいつものことだ。というより、 この電話の先は普段まったく営業していない、ある架空の商事会社に繋がるようになっている。 その後、決まった暗証番号で、目的の端末に通じるのだ。それでも、出た相手は、あくまでその会社の従業員のふりをする。 決まった個人、決まった相手からの電話以外、受け付けることはないのだ。表の機関である役所と違って、
裏の機関であるここは、特殊な物件のみ、極秘に扱うことが多いからだった。
勿論、哲理の場合は、公私混同なのだが。
「もしもし?」
『はい、N&Nカンパニーシステム部、杜守(ともり)ですが』
おきまりの営業用スマイルならぬ営業用の声が聞こえてくる。ちょっと高めの、感じのいい喋り方。 ここにかけてくるのは、大抵精神的に不安定な人だから、当然だ。 それでも久しぶりに機嫌の良さそうな声を聞けて、哲理は思わず嬉しくなる。
「あ、わし…」
『なーんだ、あんたなの。…何用?』
とたんに声が変わる。よく言えばリラックス…はっきり言えばつっけんどんな、冷たい声。
「冷たいなあ。こんなに愛してるのに」
『うっとうしい。用がないなら切るよ』
「あ、おい、待てよっ」
『何?さっさと言いな』
「…たく。あのさ、すまないけど、そっちの方で、信用できて手の空いてるやつ、いない?個人的に頼みたいことがあるんだよね」
『なに?ま・た・厄介ごと?』
「まあね。ちょっと」
言いながら苦笑いを浮かべる。
『美古都がなんかやらかしたか?』
「…どーしてそーなるんだよっ。どいつもこいつも…」
『仕方ないだろ。あんたたちはまとめてトラブルメーカーなんだから。で?』
身も蓋もない。
「まあいいけど。あのさ、…ミササギの後輩の子が、ちょっとまずいんだよ。」
『誰さ』
「その前に、引き受けてくれんの?」
『場合によるな。面倒がないんだったら、このまま表に回すよ。そうでなくとも最近、 妙な事件が多いんだ。個人的な事情にかまってはいられないんだよ』
「いや…どーも喧嘩うっちゃったみたいなんだよね。わし」
『はあ?』
電話の向こうの声が尖る。冷たかった声に、磨きが掛かってくる。
「元々、ちょっと公になるとまずいらしいんだけど…本人は気が付いてないんだよ。多分」
『…で、なんでお前さんが?』
「いや、その子に偶然会ってさ、話してるうちに、こりゃまずい状態だなあと思ってたら…」
『出てきたのか』
「うん。」
『…奴らと同系統なのか?』
「違うと思う。どっちかっていると…妖魔じゃなくて、怨霊に近いな」
『…昼間の件か、伊藤の担当の』
「げ。もうそっちまで回ってンの?」
『当たり前だ。…と言いたいとこだが、今回は違うね。正式には明日、回ってくる。 伊藤のやつが御衷心に来たんだよ。あいつ、お前をやり玉に挙げるつもりらしい。 面倒だったからクギは刺しといた。あいつは判ってないからな。お前さんの事情のやっかいさが』
「助かった…。礼を言うよ」
『高いからな』
電話の向こうの声が少し笑いを含んだものになる。事件を詳しく調べれば、出現そのものと哲理の関係はシロと出るが、 その間の時間は拘束されるし、会社に通知でもされれば、クビだって危ないのだ。そうでなくともこの不況時、喰っていくためには仕事は必要だ。 特に『第0課』からブラックリストの上位にランクされている哲理は、なかなか思うように就職出来ない。
「へえへえ。でも、あれはわしが原因じゃないからね」
『だろうな。まだ例の周期が来たわけでもない。お前は馬鹿だが、そこまでじゃない』
相変わらず見も蓋もないが、心配をしてくれているのが判っているので、敢えて何も言わない。毒舌なのは慣れている。
「じゃ、引き受けてくれるんだね」
『個人的にはOKするよ。ただし話を聞いてからだ。お前が関わってるなら、下手なやつには回せないからね。私が出張るしかないだろう』
「すまんねえ」
『ま、いいさ。だから今度のイベント、助っ人頼むな』
「イベントって…即売会?また?」
『イヤならいいぞ』
「…判りましたよ。とにかく、電話じゃなんだから、今度会って話そう。ね?」
『いいよ。お前のおごりな。』
うぐ。なんでこうなんだ。
「はいはい。いつが空いてる?」
『とりあえず明日のイベントで…哲理、日曜休みだろ』
「何?イベントって明日なの?!」
『おうよ。ちょうど手が足りてないし。終わった後話聞くから、会場に来てくれ。 国際センターだから。集合は朝7:00な。担当はパンフでよろしく。じゃ』
「あ、ちょ、ちょっと待てよ…」
無情にも電話は切れた。
(明日朝7:00だあ?)
確かに日曜は休みだが、明日は出勤するつもりだった。忙しいのである。しかしながら、この場合、断れない。 仕事の依頼というだけではない。相手が悪い。仕方ないな、と哲理は腹をくくった。今日は午前様コースだ。 徹夜にならないようにはしよう。それに、久しぶりにイベントに行くのも悪くないと思う。 忙しいのはかなわないが、あのどこか妙な熱気は、哲理の中で懐かしいものでもある。
「さ、始めっかあ」
深呼吸して、哲理はそう声を出すと、図面と端末相手に格闘し始めた。

美古都からの留守電は、もちろん、まだ、その耳に届いてはいない。


――――――――――――――――――






どくん。



どくん。



音が聞こえる。
子守歌のように。


どくん。

どくん。

心の臓の音だ。
かあさまのねだ。

『不憫なお子よ…』
母様の、お声が聞こえる。
『この母に宿らねば、生まれいで、すく、と育ったことであろうに…』
母様、なぜ、泣かれる。
『ああ、不憫なお子。私と…そして――さまの…――』

かあさま。

『おお、おお、なんと可愛い目をして。この目でお空を見たかったろう』
かあさま、われには、みえませぬ。
『なんと可愛い手であろう。この手で花を摘みたかったろう』
かあさま、われには、つめませぬ。
『おお。私の子。どうか…どうか…ああ、悪いのはこの母じゃ。この母と、そして…』
かあさま、かあさま
『――を恨みなさるな。悪いのはこの母じゃ』
かあさま、なぜにないておられる。
『私の子。もう、動くことのない…せめて…わたしの乳をお飲みなされ。
わたしの肉を上げよう。わたしの血を、精を、…どうか、どうか――』
かあさま、われの――
『どうか、父様を…』




どくん。


どくん。



心の臓の音。
かあさまのね。
動かない、かあさまの。
かあさまの、声。
かあさまの、音。

どくん。


どくん。


かあさまの白い


しろいほね…






空には、赤い月がかかっていた。

TO BE CONTINUED…


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