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LUNATIC DOLL・0

序章 〜PROLOGUE〜




「トモ…?」

目を覚まして、利幸は彼女がそばにいないことに気付いた。
「友美、どこだ?」
起きあがって、辺りを見回す。
6畳のベッドルームは秋の気配を吸い、充分に涼やかだった。
カーテンの掛かった窓から、ほのかに月明かりがもれる。

満月なのだ。

時計の針は午前二時を指している。俗に言う、丑三つ時。
市の中心地に近いこの辺りも、さすがにこの時間になると、車の音も途絶えがちになる。時折暴走族らしいかん高い排気音が、 狂ったように駆けてゆく以外は、高層マンションの11階であるこの部屋には、殆ど物音が響かない。
静かだった。
物音ひとつない。しん、としている。
思わず、肌寒さを感じて、利幸はぶるっと体をふるわせた。
静かすぎるのだ。
世界から音が無くなったように…自分の服のたてる衣擦れの音だけが、闇の中でひっそりと響いている。いくらなんでも…妙だった。そう、嫌な感じがする。

…虫の知らせ。

利幸は手元の寝間着を引っかけ、ベッドから下りて友美の姿を探した。6畳間のベッドルーム、キッチン、リビング…どこにもいない。―――また、外だ。
利幸は、何故だかふるえる手で、タバコに火を付けた。一息に吸い込み、そしてはきだす。

近頃、友美が、夜中にふらりと出てゆくようになった。

数分のことなら気にしない。階下には24時間営業のコンビニだってあるし、気晴らしに外へ出たくなることだってあるだろう。 早朝のゴミ出しだって考えられる。が、それがあまりに頻繁で、おまけに数時間もの間、帰ってこないとなれば別だ。
  それに、最近の友美は様子がおかしい。
むやみに会社を休んだり、かといって何をするわけでもなく、昼間から窓を閉め切ってぼおっとしていたりする。空を見つめて微笑んでいるかと思えば、いきなり泣き出したりする。 おまけに、この夜の『外出』のことは、覚えていないらしい。
  彼女と暮らしはじめて二年がたつ。元々、親元にも、そして叔父に当たるこのマンションの オーナーにも秘密の同棲だった。誰でもやっていることで、罪の意識などもちろん無い。ただ、 利幸の実家は「女性と同棲すること」だけはかたく禁じていたので、少々後ろめたい気持ちも あった。親がいつ来てもかまわないように、友美は必要最低限のものしか置いていないし、 彼女自身、女物の家具やアクセサリ、ぬいぐるみなどには殆ど興味のない性格だったから、 いくらでもごまかすことが出来た。利幸は年齢が二つ上の友美に心地よく甘えていられたし、 面倒見のいい彼女は有り難かった。バイト先で紹介されて妙に気が合い、 よく泊まりにくるようになり、そして必然的に恋人になり…。友美が一緒に暮らしたい、と言ったときも、 二つ返事でOKだったのだ。すべてがうまくいっていたし、毎日が楽しかった。はじめは。
  しかし年月はたつ。
  それは否応なしに二人の間に溝を作っていたようだった。
  溝というには小さいのかもしれない。だが、間違いなくそれは生まれていた。 友美が就職し、OLになり、友人はどんどん結婚してゆく。だが、利幸はまだ学生だ。 それも医学のコースを取っているせいで、卒業はまだ先のことだし、就職など考えられない。
恋愛がはじまったばかりの、まだなにも考えずにいられた頃に比べると、なにかが食い違ってきているのは当然かもしれなかった。
友美ももうすぐ25になる。『結婚』という言葉こそ出てこなかったけれど、彼女がそれを考えていることは想像できる。 利幸も、結婚するなら友美で不満はない。だが未だ学生で、親からの仕送りで生活している身では、それにどうこう言えるわけがなかった。

  もう、数週間、ろくに話していない。

  一度すれ違いになるとそういうものだ。今までは、しばらくするとまた、楽しい時間が戻って来た。 しかし、今度もそううまくいくのだろうか。

  最近では、利幸自身、腫れ物にさわるような気持ちで暮らしている。 友美がおかしいのに、それを問いただすことが出来ない。 何か言えば…何かを切り出せば…その先に何が待っている。その先を、どうしても見たくない。先延 ばしにしている…そんな感覚。
前にもあったような気がするのだ。このままずるずると続けていけばいいのではないだろうか。なんとかなるのではないだろうか…なんとか…

  いや、今の問題はそんなことではないのだ。
  友美がいない。こんな時間に。

  もう一度時計を見直す。考え事をしている間に、30分はたっていた。探してみようか、と思う。
胸騒ぎがするのだ。
利幸にその手の能力は全くなく、友美やその友人たちのようにカンが鋭いわけでもなかったが、 どうにも嫌な予感がする。
寒くもないのに手は細かくふるえているし、鳥肌も立っている。
一瞬の逡巡のあと、思い切って立ち上がり、カーディガンをひっかけ、そのまま玄関へとむかった。
とにかく下のコンビニまで行ってみよう。
そこにいるかも知れないし、いなければ戻ってくればいい。サンダルを履き、一応財布を持つ。 この時間にコンビニに行ってなにも買わないのも変だ、とにかく行ってみよう。なにかあっては いけない。なにか…なにかが起こってしまったら…取り返しがつかないのだ。…なにか…
玄関のドアノブを握りしめる。
と、その時。
かちゃ。
利幸の目の前で、それはひとりでにまわった。
「!」
扉が、ゆっくりと開く。
(トモ…!)
声をかけようとして、利幸は、その言葉をのみこんだ。

――――――外は満月。

月あかりを煌煌と浴び、彼女はそこに立っていた。
友美の、いや、そこに立っている「もの」の瞳が、にぶく光る。
…ひっ。
知らぬ間に、利幸は悲鳴を上げていた。
それは、そうっと彼に近づいてくる。その手が優しく差しのべられる。抱擁を求める仕草のように。そして、その手から、一滴づつ雫が落ちる。
ぽたり。ぽたり。
鮮血。

彼の恋人は、赤い血にまみれて、ゆっくりと笑った。

TO BE CONTINUED…


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